黎明皇の懐剣
十一.ユンジェの旅支度
天士ホウレイは、麟ノ国玄州の寧山脈を越えた森にいるそうだ。
そこは北部にあるそうで、ユンジェのいる渓谷は王都のある黄州より、遥か南にある紅州にあるという。
国の端から端の大移動となるらしく、長旅は避けられないとカグムが教えてくれた。
そのため極力、ティエンの怪我は癒していきたいという。よほど旅は過酷なのだろう。地名などまったく分からないユンジェではあるが、その大変さは想像できた。
とはいえ、渓谷に長時間滞在することは難しい。
将軍タオシュンに間諜がばれてしまった今、いつ追っ手が来るやも分からない。カグム達はティエンの傷が完全に癒えずとも、発つ気でいた。
ユンジェは驚いてしまう。
なんと、首を刺した、あの熊男は生きていたのだ。強靭な肉体を持つ輩は、ユンジェが作った刺し傷くらいでは死なないのだとか。
それにホッとしたような、恐ろしいような、複雑な気持ちを抱いた。できれば、二度とあの男とは顔を合わせたくないものだ。
タオシュンの兵に見つからないよう、紅州を離れることがカグム達の次なる目標らしい。
天士ホウレイの下に行きたがらないティエンの意思など、まるで無視だ。
なにかと王族と農民を区別し、やかましく身分を口にするわりに、王子の扱いが酷い。
彼を荷物とでも思っているのか、王子をどう安全に運ぶかを話し合っていた。
(旅の話し合いなら、ティエンも参加させるべきなんじゃねーの?)
それ相応の準備だっているだろうに、王子に何も知らせていない。何もさせようとしない。発つ日すら教えない。王族の天幕で休ませるばかり。
その程度の存在だと、見下しているのだろうか?
しかし、これは好機でもある。ユンジェは平民の天幕から綺麗な頭陀袋を二枚もらうと、持参した道具をティエンの前で広げた。
「縄が数本と、皮むき用の刃物。干し芋に、銭と塩。半分にできるものは分けよう。塩は濡れて固まっているから、鍋で炒るようにして。ついでに塩漬けでも作るか」
「ユンジェ。これは」
頭陀袋の上に、縄や干し芋、銭を分けて置いていく。
それを不思議そうに見守るティエンに、「準備は大切だろ」と、ユンジェ。
旅をするのだから、乗り越えるための道具は揃えなければ。その道具すら兵達に任せては、きっと自分達は生きていけない。
「自分が何を持っているのかを把握していたら、それでどうにかしようとするだろ? 自分で解決できるところは、なるべく自分でやった方が良い。カグム達はお前を、荷物みたいに見ているけど、俺はティエンが考えて動く奴だって知っているよ」
そのためにユンジェはティエンと準備をする。
この旅は、きっと生きるために、たくさん頭を使うだろう。それに伴って道具も必要となるだろう。限られた物の中で、自分達は足掻かなればならない。
「今は無理でも、もしかしたら逃げられる隙も出てくるかもしれない。ティエン、お前は生かされている人間じゃない。自分の力で生きることができる人間だよ」
意思関係なく王位簒奪やら、弑逆やら、重たいものを背負わされそうになっているティエンに、二ッと歯を見せて笑う。
「これでもう少し、お前に力があれば文句もないんだけどな」
「余計なひと言がなければ、私も素直に喜べたというのに。ユンジェ、準備のやり方を私に教えておくれ。こういうことは初めてなものだから」
ティエンが笑顔を見せる。夕餉以来の笑みなので、ユンジェは嬉しくなった。
「俺も旅ってのは初めてだから、分からないことが多いんだ。だからこそ、準備は怠らない方がいい。俺達は弱いから、がんばって頭を使っていかないとな」
ユンジェはティエンの許可をもらい、高価な織金を頭陀袋に入れ込んだ。いざという時、これを物々交換に使える。