黎明皇の懐剣


「この分だと、夕方にはカグム達が来る。それまでに町を出ないといけないが……いま、慌てて町を出てもあっという間に捕まるだけだ。夜を待つしかないな」


 問題は無事に夜を過ごせるかどうか、である。
 連絡を受けた傭兵は当然、ユンジェを探し回る。傭兵達に見つからないように夜を待つのは至難の業だ。

 また、町に間諜が町人にまぎれているとも限らない。さて、どうしたものか。

 ティエンの言葉に、ユンジェは頓狂な声を上げた。

「間諜って敵兵にまぎれて仕事をするもんじゃねーの?」

「間諜というのは、敵の様子を探り、味方に知らせるお役を持っている。敵兵になりすますだけじゃない。農民や商人、時に囚人となって様子を探ることもあるんだよ」

 ユンジェは自分の知識の乏しさに、肩を落としてしまう。
 自分はてっきり敵兵にまぎれるお役を間諜だとばかり。カグム達を基準に見ていたせいか、勘違いしていたようだ。ちゃんとティエンに聞いておけば良かった。

 そしたら、この事態を回避できたかもしれないのに。商人を利用する策は、じつは危険な行為だったのだ。

「ティエン。ごめん。俺の策、失敗だったかも」

「ふふっ、ユンジェらしくないぞ。こういう時こそ、よく考えなければいけないんじゃないか? ユンジェは逆境に強い子だと、私は知っているぞ」

「だってさ」

 自己嫌悪に陥るユンジェは、考え込んでしまう。

 もっとよく考えれば、良い策があったのではないだろうか。考えれば考えるほど、嫌悪の沼に嵌ってしまう。

 それだけしか考えられなくなるユンジェに、ティエンは目尻を和らげた。

「お前の策は立派だったよ。ただ、向こうの方が一枚上手(うわて)だった。それだけの話だ。仮にこれが失敗だったとしても、私は謝ってほしくない。お前の案に乗ったは、誰でもない私なんだ。半分は、私の責任でもあるさ」

 彼は額を軽く小突き、柔らかな手でユンジェの頭を撫でた。

「ほら顔を上げろ、ユンジェ。これ以上、謝ったら怒るぞ。私にいつも言うじゃないか。簡単に謝ってくれるな、と」

 謝る時間すら勿体無い。この事態を乗り切るために、よく考えよう。

 ティエンの言葉に、ようやくユンジェは元気を取り戻す。
 そうだ、落ち込んでも仕方がない。知識が乏しい自分を嫌悪するより、これを乗り切るための策を考えなければ。

「しかし。カグム達がここまでするとは……本気を出してきたな」

「本気? 今まで本気じゃなかったのか?」


「元々私達は不利な状況下にいる。人数も力も財も輩達の方が上だ」


 謀反兵達は思っていたはずだ。
 馬を使えば、すぐにでも足取りが掴める。保護できる。    
 相手は非力な王子と子ども、しかも徒歩だ。逃げられたところで、なんら問題はない。極力無駄な労力は避け、捕まえ次第、天士ホウレイの下に向かう、と。

「なのに。ユンジェが知恵を働かせ、足取りをもみ消した。私達相手に本気を出した、ということは、カグム達はとても焦っているんだろう。なんだか気分が良いな」

 いたずら気に笑うティエンに、苦笑いを浮かべてしまう。

 本気を出されては困る。さすがのユンジェも、大勢の大人を相手取ることは厳しい。

 本気を出すということは、よく相手の動きを考え、慎重に動くということでもある。十四のユンジェはまだ大人ではない。
 ゆえに子どもだからと油断を誘えるのだが、この手はもう通用しないだろう。

「ユンジェ。町の出入り口を確認してみよう。傭兵達の動きを知りたい。そろそろ移動しなければいけないようだしな。よし、あえて表通りを歩いてみよう」

「そうだな。裏でこそこそ隠れていた方が、傭兵達も怪しむだろうから」

 聞こえてくる足音に二人は顔を見合わせると、素早く立ち上がって、大通りへ向かった。

 傭兵達はユンジェのことを知れど、顔を知らない。そのため、人込みにまぎれて表通りを歩くと、気づかれずに素通りされることが多かった。

 けれど、気は抜けない。
 町人にまぎれ、間諜がいるとも限らないのだから。
    
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