黎明皇の懐剣
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ジセンは本当に変わっていた。
初対面の人間を家に通しただけでなく、烏龍茶と塩豆を用意して、見ず知らずの二人をおもてなす。
自分達が危険だと思わないのだろうか。
それについて尋ねると、義母のトーリャや嫁のリオの友だから大丈夫だと返された。疑う心を持たない男なのだろうか。
しかし。彼は変人というだけで、頭が悪いわけではない。
寧ろ、その逆だろう。二人から事情を聴くと険しい顔で相づちを打ち、ティエンの身分を聞くと、大層驚いた顔を作っていた。
「君があの噂の多い、麒ノ国第三王子ピンインさま? これは驚いた。そうとは知らず、無礼な振る舞いを。お許しください」
ジセンは敬語に直した。それは知識が豊富な証拠だ。
反対に傍で野菜の皮を剥いていたリオや、幼子をあやすトーリャの反応は薄い。
「お母さん。王子って何かしら? 商人? 地主? それとも僧侶かしら」
「さてねぇ。たぶん、偉い身分なんだろうねぇ」
王子と聞いても、首をかしげるばかり。ユンジェも似た反応をしていたものだ。
「ジセン。どうか、敬語をお崩し下さい。私はすでに王族の身分を追われ、ユンジェと共に農民として過ごしております。今の私は貴方と同じ身分です」
ティエンが敬語を崩さないのは、相手が年上だからだろう。ジセンは彼の気持ちを汲み、口調を戻す。
大まかな事情を聴いたジセンは、ティエンとユンジェを見つめ、苦く笑った。
「若いのに、とても苦労しているんだね。とりわけピンイン……いや、ティエンは国を敵にし、国に追われている身の上というわけか。一方で、君の身分を欲する者がいる、と。新しい麒麟の誕生、か」
麒麟のことまで、包み隠さずジセンに話したのは、この家に迷惑を掛けてしまう懸念を伝えるためであった。
ユンジェもティエンもこれ以上、世話になるつもりはなく、すぐにでも発つつもりだ。長居をしたことで、どんな厄介事がこの家に降りかかってくるか。
けれど、ジセンはその時はその時だと言って、二人にここで少し、体を休めるよう告げる。旅を続けるなら、余計に体を休めた方が良いとのこと。
「気に病むようなら、少しばかり仕事を手伝ってくれたらいいよ。僕は膝を悪くしていてね。荷運びを手伝ってくれると助かる。困った時はお互い様だ」
「しかしジセン。私は呪われた王子と呼ばれた者。長居すれば、どのような災いを運ぶか」
しかめっ面を作る彼の言葉を、ジセンは呆けた顔で聞いていた。
間もなく、笑声が部屋を満たす。ティエンは真剣に物申していたのだが、ジセンはそれを面白おかしそうに受け止めていた。
「なら、災いも一緒にもてなすよ。知っているかい? 不幸も歓迎すれば、幸福になるんだよ」
「え、はあっ……はい?」
ティエンが動揺のあまり、声を裏返している。初めて聞く、間の抜けた声であった。
「だってティエンが災いを運ぶんだろう? そんな君を喜ばしたら、それが幸いになるかもしれないじゃないか! そしたらリオ、僕達はお金持ちになるやもしれないね」
もしかしなくとも、ジセンの頭の構造は自分達と違うのかもしれない。
頭が悪いわけではないのだろうが、変わり者だと強く謳った、トーリャの気持ちが今ならよく分かる。
向こうでリオがおかしそうに笑っている。旦那の変わった面についていけるのは、妻の彼女くらいだろう。
「こういう時は、人の厚意を素直に甘んじるべきだよ。尤も、美しい君がどのような災いを運ぶのか、想像もつかないけど」
「追っ手が家を焼くやもしれないのに。将軍タオシュンの時だって」
笙ノ町の大火事件はティエンにとって、大きな心の傷になっている。それでも、彼は生きる道を選んだ。これからも大火の悪夢を背負い、道を探していく覚悟なのだろう。
温かい烏龍茶を飲み、塩豆を口放るユンジェは、彼の苦悩する横顔を見つめた。掛ける言葉が見つからない。
「ティエン、君の歳は?」
ジセンの唐突な問いに、ティエンが面を食らう。
「今年で十九に」
「そうか、僕は今年で三十五だ。君より、十六も上だよ」
ユンジェは指で計算を試みるが、生憎手の指は十本しかないので、それが正しい答えかどうか分からずにいる。
分かるのは、リオとジセンが歳の差で結婚している、ということ。
リオは今年で十五になる娘である。
それに対し、ジセンは三十五。ずいぶんと歳が離れた夫婦だ。
しかし農民の間ではよくある話なので、驚きこそするが、その程度に留まる。
世継ぎのため、家のために貰われていく娘達は、歳の差があろうが何だろうが、受け入れなければいけない。農民の常識だ。
「ティエン、僕は十六も君より上。つまり、そういうことだよ」
つまり、どういうことなのだ。ユンジェにはさっぱり分からない。
ジセンはいたずら気に笑うと、軽く手を叩き、「夕餉にしよう」と言って立ち上がる。
「お茶で挨拶を終えた後は、食事で親密度を上げる。定石だよね。リオの料理は絶品なんだよ。その中でも、彼女の作る魚料理は最高さ。ちゃんと食べていくんだよ。なにせ僕は君達より、十六も上なんだからね。ああそうだ、リオ。酒を開けよう。せっかく、故郷の友と再会したんだから、みんなで飲まないとね」
「もう、ジセンさん。昨日、全部飲んじゃったでしょう?」
「おやおや、そうだったかな? 料理が美味しいせいだね」
ようやくジセンの言いたいことが読めた。
要は年上なんだから、若造のお前らは黙って言うことを聞け、と態度で命じているのだろう。
身分の次に強く出てくるのは年齢だ。
農民と名乗る以上、ジセンはティエンに遠慮せず振る舞うようだ。
ユンジェはティエンの脇腹を小突き、苦笑いを浮かべる。
「やられたな。こりゃあ張り切って御馳走にならないと」
ティエンは疲労まじりの吐息をこぼし、頬を掻いた。
「あの人と話していると、自分の主張が間違っている気分になる。なぜだろう。私は理解に苦しむよ。厄介な人間が突然、訪問してきたのに、もてなす……なんて」
疑り深くなる彼に、ユンジェは肩を竦めた。
「単に食事をしたいだけなんじゃねーの。深い理由はなさそう。リオとトーリャが認めている男だ。悪い人じゃないさ」
それに。
「俺がティエンを助けた時も、深い理由なんて無かったよ。なんとなく、困っていそうだったから拾っただけ。似た気持ちなんじゃねーかな」
自分達が困っているから、妻リオの友人だから、手を差し伸べてくれているのだろう。きわめて変わった言い回しではあったが、ああいう男は嫌いではない。
(リオは良い旦那さんに出会えたんだな)
素直に喜びたいけれど、ちょっぴり妬けてしまう自分もいる。ああ、気持ちというものはとても難しい。