黎明皇の懐剣
二人に家族ができたら、紹介してもらいたいし、自分に子どもができたら、その子達を紹介したい。
そんな明るい約束を結びたいと、リオ。
「ユンジェとティエンさんを、私ずっと待っているから。ね、約束」
じっと静聴していたユンジェは、間をおいて大きく頷いた。
「分かった、約束だ。俺とティエンはまた、リオの手料理を食べに来るよ。今日は酒が飲めなくて残念だったけど、今度は一緒に飲もう。俺、お土産に買ってくるから」
満足気に頷き返すリオを目で笑い、ユンジェは「ありがとうな」と、礼を言って止めていた作業を再開した。
肩の力が抜けていくのが分かる。
「リオのおかげで、なんだか気持ちが軽くなったよ。俺、心のどこかで気張っていたのかもしれない。こんなに穏やかな夜は久しぶりだ」
「麒麟の使いは大変?」
「よく分からないんだ。正直、ティエンの懐剣になったことも、麒麟の使いになったことも、未だに半信半疑。でも心に決めているんだ。俺はティエンを生かす。周りがあいつの死を望もうが、俺はあいつに生きてもらいたい。だから守ろうって」
それはティエンの懐剣でなくとも、麒麟から使命を授からなくとも、通していきたいユンジェの強い気持ちだ。
リオが微笑ましそうに目を細めた。
「相変わらず、ユンジェはしっかり者ね。私も頑張らないと。ジセンさんと一緒に養蚕業を守っていかなきゃ。でも」
「でも? どうしたんだよ」
彼女は不満気に鼻を鳴らし、口を結んだ。
「ジセンさん。私を子ども扱いするの。あの人のお嫁さんになったのに、頼るのはお母さんとか、昼間来てくれる女性ばかり。それどころか私を見て、申し訳なさそうな顔をするのよ」
それが嫌で仕方がない、リオは頬を膨らませた。
なんとなく気持ちは分かる。
ユンジェもティエンに、度々そういう顔を向けられる。
どうせ、過酷な運命に巻き込んでしまったの云々思っているのだろうが、そんなの今さらだ。それを承知の上で、最後まで巻き込めと言っているのに。自分は最後まで付き合うと言っているのに。
「そういうのって腹立つよな。まるで、自分を信用されていないようでさ」
彼女がそうなのだと頷き、膝を抱えて唸り声を上げる。
「申し訳なさそうな顔をされる度、ジセンさんに信用されていない気分になるの……私、初めてジセンさんに会った時、思った以上に年上で驚いたわ。そして、怖くなったの。怒鳴られるんじゃないかって。こき使われるんじゃないかって」
しかも養蚕農家は主に虫を取り扱う仕事。リオは半べそになりながら、蚕と向き合った。初日にしては故郷が恋しくなり、母に甘えたくなった。
けれど。
その気持ちを霧散させてくれたのは、ジセンが出した一杯のお茶。
彼は初対面のリオにお茶を出し、まずは会話を楽しもうと言った。
それが終わると、温かな食事を囲み、リオの故郷やリオ自身のことについて、沢山尋ねてくれた。
夫となるジセンは優しく、賢く、人の不安や緊張を取り除いてくれる人であった。
「文字の読み書きを教えてくれたり、足し引きを教えてくれたり。男の子に学ばせる知識を、私にも学ばせてくれて。女だからって見下さなくて」
時間が経てば経つほど、人間味のある優しい人だと分かったのに。良き妻になろうと思ったのに。意気込んでいたのに。
彼は時間が経てば経つほど、申し訳なさそうな顔を作ることが多くなった。
その度に、リオはとても悲しい気持ちになる。
「あの人のことだから、養蚕農家に嫁がせたことに罪悪感を抱いていると思うの。蔑まれている職だし。それでもジセンさんがいれば、私は頑張れる。そう思っているのに……私が十五だからいけないのかしら。私が二十ならまた違ったのかしら」
「お前がいくつでも、あの人は罪悪感を抱くんじゃねーの? ジセンさんってさ、ちょっと目を放したら一人になりそうな人だな。リオを巻き込みたくないことばかり考えてそう」
「すごいね、ユンジェ。さっきから全部言い当ててる」
「当てているというより、腹立つくらい似てるんだよなぁ。ティエンと」
己の運命に巻き込んでしまった。
自分と出逢わなければ、ユンジェの平和は崩されなかった。
ティエンの根底には、その意識が根付いている。罪悪感が息づいている。
想像するだけで腹が立つ。
ティエンがユンジェにもたらしたのは、決して厄介事ばかりではないのに。一緒に畑を世話し、薪を作り、食事をした日々は孤独だったユンジェの生活に明るい潤いを与えたというのに。
「いつか、自分の傍にいない方が良い、とか言ってさ。ティエンは俺を置いて行きそうな気がするんだ。そして、誰も巻き込まないよう、一人で生きる道を進む……あいつならやりかねない」
ユンジェはそんな彼を求めてなどいない。求めているのはたった一つ。
「天は俺とティエンをめぐり合わせた。そして俺は、自分の意思で懐剣になった。どんな形であれ、俺はあいつと一緒に生きると決めたんだ。だから、ティエンにも、同じ想いでいて欲しい。一緒に頑張ろうって、そう思って欲しい」