私の上司はご近所さん
あの場所で
走るたびに下駄の鼻緒が足の親指と人差し指の間に食い込み、鈍い痛みが走る。それなのに足を止めることができないのは、約束の午後八時まであと二分しかないから。
慣れない浴衣と下駄のせいで、思うように走れないことが歯痒い。太鼓や笛が奏でる祭囃子(まつりばやし)に急かされるように“あの場所”に向かって走り続けると、さつき通り商店街の外れにある神社にたどり着いた。樹齢五百年とも言われている大きな楠(くすのき)が覆い茂り、普段は薄暗い神社も夏祭りの今日は多くの人で賑わっている。
もう、翔ちゃんは来ているよね?
屋台がひしめき合う境内を進んで神社の裏手に回る。お祭りの提灯の明かりも届かない暗がりの中、転ばないように慎重に足を進めていると、ようやく“あの場所”に到着した。けれどそこに、翔ちゃんの姿はない。
「翔ちゃん?」
「百花か?」
辺りを見回しながら彼の名を呼ぶと、楠の裏から翔ちゃんが姿を現した。
「うん。遅くなってごめんね」
息も絶え絶えに謝ると、翔ちゃんのもとに向かう。
「すっぽかされたかと思った」
お互いの顔がようやく見える距離まで近づいてみると、翔ちゃんの眉が下がり、不安げな表情を浮かべていることに気づいた。
いつも明るい翔ちゃんが弱気な発言をするなんて珍しい。