私の上司はご近所さん
「谷口のおばちゃんに捕まっちゃったんだ。ごめんね」
約束の時間に遅れてしまったのは、家を出てすぐに花屋を営んでいる谷口のおばちゃんに話しかけられたから。新調した浴衣を褒められ、おばちゃんの若い頃の思い出話につき合わされたのだ。
「そっか。谷口のおばちゃんはおしゃべりだからな」
「うん」
谷口のおばちゃんが話好きだということは、さつき通り商店街では有名だ。ふたり揃って、クスクスと笑い合う。
「それより百花? 昼間、倒れたんだってな」
「誰から聞いたの?」
「野沢のおっちゃん」
「ああ、そうか」
数時間前の出来事をすでに翔ちゃんが知っていることに驚いたのは、ほんの一瞬。さすが、野沢のおじさん!と感心してしまう。
「ついでに藤岡さんが百花を抱えて介抱したってのも聞いた」
「そ、そうなんだ」
まさか部長とキスしたことまで、バレていないよね?
翔ちゃんの口から不意に飛び出した部長の名前に、胸がドキリと跳ね上がった。
「もう大丈夫なのか?」
「うん。寝不足だったんだ」
「そうか」
「うん」
倒れた理由に納得した翔ちゃんから部長の話題はもう出ない。ホッと胸をなで下ろしていると、翔ちゃんが楠をトンと叩いた。
「ここ、懐かしいな」
翔ちゃんが言う『あの場所』とは、神社の裏手の楠の下。屋台が立ち並ぶ境内はたくさんの人でひしめき合うけれど、裏手のこの場所まで足を伸ばす人はほとんどいない。だから高校一年生だった私は人の気配がないここに翔ちゃんを呼び出し、そして告白した。