オフセットスマイル
「それで……、何で家を出てきたの? 家出?」

 珠子はテーブルの前の椅子に腰掛け、すぐ様、身を乗り出して突っけんどんに聞く。


「そんな子供っぽいものじゃないよ。決意だよ」


「決意?」

 珠子はそこで、塗り絵を塗り潰すように、ゆったりと言葉を溜めた。
 僕には、それが弄ばれているようにも感じてならない。


「お寺を継ぐのがイヤになったんでしょ?」


「違う!」

 早口になった珠子の言葉を、間発入れずに僕は打ち消した。
 ムキになっているつもりはなかったのだが、自分でも必要以上に強く答えてしまった事に戸惑った。


「ただ、もっと世界を知っておきたかったんだ」

 僕は精一杯、穏やかに話そうと努めた。

 ふーん、と珠子の顎が突き出た。


「じゃあ、お寺を継ぐの?」


「分からない。そういう答えが出るかも知れない」


「そうなんだ。それで……、やっぱり住所は無いの?」


 顎を突き出していた珠子の視線が、急に潜り込んで、上目使いになる。

 ここまで会話をしてきて、ようやく、実は僕が寺を継ごうが継ぐまいと、珠子にそれほど関心のない事が分かった。


 僕はふてくされるしかなかった。意味なく対抗して、珠子を見下ろしながら、突き放すように言った。


「住所は、実家に置いて来た……」

 珈琲をカブリと飲んだ。

 砂糖を入れていないせいか、それが分かっていても、泥水のように苦かった。


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