オフセットスマイル
 高速バスは、僕の慣れ親しんだ故郷をゆったりと滑らかに走った。

 最初のうちは、目の前を流れるガラスの先の景色に、特別な思いは生まれなかった。名残惜しいとか、寂しいとか、そんな風には思わない。

 時たま、オレンジ色のネオン光が差し込み、バスの天井を同じ色で染める。

 まるでそれは、橙色のセロハン紙を切り抜いて、裏面から貼り付けたような、色付きの影絵を思い起こさせる。


 アームレスト付きの三列シートのバスで、進行方向に対し、僕の席は左側の窓際だった。窓から見える沈黙した町を眺め、家で眠っている父親と母親の事を、重ねて想った。


 知らない町を通過した頃、隣の席から寝息が聞こえる。

 なかなか眠くはならなかった。席の周りから、それぞれの寝息が、何重にも僕の耳に届く。

 両耳を塞ぐと、靴を脱いで靴下を履いた足先に目がいった。爪先まで伸ばし、色が落ちて白くなったジーンズのシワを、膝を使って意味もなく伸ばした。



 ──僅かな光を遮り、カーテンを引くと、ふと、前のシートのヘッドレストの広告が目に入った。


「ゆっくりと、休んでね」


 まるで、いわゆるテレパシーのように、頭の中に直接働き掛けてきた。

 それは、まだ幼い女の子の声だった。

 青いフリルの付いた服を着て、両えくぼが可愛らしい。小さなまなこで僕をしっかりと見ている。

 よく見ると、何か小ビンのようなものを持っている。栄養ドリンクの宣伝広告だった。


 ──それにしても、どこかで見たことのある女の子だ。


 どこだったか?

 子役でテレビのコマーシャルにでも、出ていたのかな?


 考えているうちに、ひとつ、大きな欠伸が出た。

 今は思い出せそうもないが、何気無い暮らしの中で、いつの間にか埋もれてしまった記憶なのかもしれない、そんな風に思った。

< 3 / 64 >

この作品をシェア

pagetop