オフセットスマイル
 バスがガタガタと揺れる。

 カーブの折りの減速で、一度タイヤにめり込んだ小石が、今度は回転と共に弾かれてパチパチと音をたてる。

 リュックサックを胸に押し付けるように抱えて、僕はようやく、眠りに落ちた。

 深い、深い、暗闇の深淵が、水に垂らした墨のように、ゆっくりと広がる。薄まった墨は、頭の中の記憶の隅々まで満たし、濁らせ、次々と意識を奪ってゆく。

 僕はそんなことを思いながら、体の力を抜いた。



 ──僕が新しい町に到着したのは、その日の早朝のことだった。


 息が詰まる程、バスが前のめりになり、ガクンと落ちて、止まる。
 慣性に体液が揺らされ、そのまま口元まで上ってきて、吐き気となって現れた。頬を膨らませ、奥歯を噛みながら口を堅く閉じると、襲われたばかりの気持ち悪さは、直ぐに消えて無くなった。

 カーテンの隙間から差し込んだ淡い光の線が、顔面をきっちりと捉えていて、無意識に逃げることも出来ず、僕には眩しかった。


 着いたのかな?

 僕は時計をみた。
 オークションで競り落とした、自動巻きの中古の時計だった。大きめの玉葱竜頭と硫酸銅の結晶のようなブルーに染まった針が特徴で、最後まで食い下がって、何が何でも競って落札した腕時計だ。
 その時計を忘れずに手首に巻き、僕はここにいる。

 今の時刻は、五時前だ。


「おはよう」


 ヘッドレストの女の子に、自分から話し掛けていた。彼女は一晩中、笑顔を絶やさなかったようだ。


 カーテンを人指し指一本で静かに開けると、これから起きようとする街が、静かに呼吸をしていた。


 道路が真っ直ぐに伸び、ビルが詰まっている。

 街の心臓の音まで、聞こえてきそうである。

 

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