オフセットスマイル
 ポスターを剥がした時に、偶然、見つけたものがある。


 僕は鈍感だった。
 ほとほと、自分が嫌になる。


 視界の中で起こった全てに関心を持とうとしているのに、こんな些細なことすら、僕は気付かなかった。


 ポスターの裏面に、彼女は僕に対する気持ちを綴っていた。

 黒のサインペンで、僕にだけ分かるメッセージと、僕と彼女のイラスト。

 彼女はまだ、あの山焼きの夜を残念がっていた。その気持ちが、絵と文字に込められている。


 そこには、住所も電話番号も、きちんと記されていた。

 息を吸い込むだけで、体に穴が空く。

 苦しい。苦しかった。


 彼女は僕がそれを見付けると、信じて疑わなかったのだろう。

 でも、僕は忘れてしまった。

 僕が記憶していられるのは、断片的なイメージだけ。

 それが僕にとって大切なものかどうか、関係がない。

 脳に働きかけた電気信号に重みはなく、電圧レベルの表示は、一瞬の高まりを境に消えてゆく。コントロールすら出来ないその現象は、容赦なく僕からかけがえのない記憶を奪った。


 もう、殆ど彼女が見えない。声や臭いも想像できない。彼女が分からなくなる。分からなく……、なる。

 悲しい。
 寂しい。
 悔しい。

 このまま、漆黒の闇へと、落ちてゆくのだろうか。

 何も見えず、感じることのない世界。

 僕は僕だけの、静かな闇の中へ、誘(いざな)われる。

 孤独で、生きることの意味を問えば問うほど、答えが見付からない。
 

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