夢うつつ
弐
「……様、……蓮様」
ふと呼ぶ声が聞こえて目蓋を開けた。どうも昨日は深酒をして寝てしまったらしい。
「紅蓮様、おはようございます」
起こす男を見て思わず苦笑した。
「疾風、もうそんな時間か?」
「いえ、今は朝方の四時でございます。啓治様より紅蓮様がそのままうたた寝をしているだろうから早めに起こすようにと連絡がありましたので」
しれっとして十八年上の「守役」、九条 疾風が答えてきた。
「それにしてもご機嫌ですね」
「あぁ、懐かしい夢を見た」
「花蓮様がご存命の頃ですか?」
「だな。ちょっと前くらいか」
「『ちい姫』様の夢ですか」
その言葉だけで疾風は分かったのだ。思わず苦笑した。
「さすがにおませすぎですよ?十位のお子様が五つに満たぬお子様に婚約をお取り付けになるなど」
だが、紅蓮にとってかけがえのない思い出であり、その約束は今もいきている。
「そういや、本当の名前聞きそびれていたな」
あのあと本当に国外に行った。それきり顔を合わせたことなどない。あれから十年以上、どんな少女になっているだろうか。
「さて、自分も分かりません。最後まで『ちい姫』でしたし。あぁ、今回の人事異動で樹杏殿が東京支社に移られるそうですから、お聞きしては如何ですか?」
「ということは、杏里が別場所へ移動か」
樹杏と杏里、あの二人は一緒にしてはならない。暗黙のルールだった。
「そのようでございますね。杏里殿は中国地方の責任者になられるとか」
一応栄転だろう。今まで杏里は紅蓮の部下だった。飄々としており、掴みどころのない男という印象が強い。
「そろそろあの制度、見直すべきだな」
「紅蓮様、四条院の直系であり、それこそ異例で高校入学と同時に役員に就いた方がそのような事をおっしゃっても、誰一人賛同しないと思われますが」
「やかましい」
あの制度とは、四条院の直系は慣例として十八になれば役員に就任するというものである。かくいう紅蓮も四条院の直系、というより現四条院当主の孫にあたり、次の当主に名指しで指名されている事から、特例として高校入学と同時に役員に就き、大学入学と同時に東京支社の責任者になった。そして四条院とは四条院八家と呼ばれる四条院、九条、八陽、桑乃木、東堂、西宮、南原、北城の八つの家と、その分家から成り立つ日本の政治・経済界に広く影響力を持った京都に本家・本社をおくグループの総称でもある。もっとも四条院自体特殊な呪術を使う集団である事は一部ではかなり有名だったりもするのだが。
「お前たちの補佐がなかったら今頃ただの道化者だったぞ」
「そうなって欲しくなかったので、かなり自分も鍛えさせていただきました」
そのおかげで紅蓮は誰の笑いものにもならず、若干二十二の齢にして周囲もそして本家も認める指導者になったのだ。
「明日、正式な人事異動の発表だな」
コーヒーを飲みながら確認していく。この人事異動に紅蓮は関わっていない。カリスマを持つ指導者として取りざたされている男だが、どうしても他人の能力をはかり、「適材適所」へ配置するという能力がかなり乏しいため、その辺りは疾風や他の部下たちに任せていたりする。
「全てが揃っていらしたら、ただの嫌味ですよ」
そう周囲が言うが、紅蓮としてはかなり悔しかったりする。
「……もう一眠りする。時間が来たら起こしてくれ」
「かしこまりました」
またひとときの夢の世界へ戻りたかった。