白貝と柏木
屋上へ続く階段を駆け上がる。
背後から追ってくる足音が聞こえる。
逃げ切れないことはわかっているけれど、足を止められない。
階段を登り切って、ドアノブに手を掛ける。
とにかくドアを開けて、外へ飛び出してしまいたかった。
内開きのドアを開ける直前に、背後から柏木の手が伸びて、ドアを閉められる。
視界には、開けられなかったドアと、そこに着いている柏木の大きな二つの手。
全身が硬直する。
息が切れて、とても疲れていた。
「何で、逃げる…?」
背後から柏木の声がする。
柏木も、少し息が切れている。
柏木の両腕の間で、ゆっくり体を反転させた。
顔が見れなくて、俯いて、足元を見つめる。
「あんたが俺を避けてることは知ってた。けど、俺から逃げる理由がわからない。…あんたは俺を好きなんだと思ってた」
その言葉に体が強張る。
「…かもしれないって、言っただけだよ」
「それ、俺の目を見て言ってみろよ」
顔を上げられない。
「私、なんか、おかしいんだ…。
前は平気だったのに、今は柏木の顔が見れない。ドキドキして、心臓止まりそうになって、恥ずかしくて…。柏木の近くにいると、そわそわして、落ち着かなくなっちゃう。前みたいに普通に話せない。
それに、柏木のこと好きな女の子が柏木を見てると、すっごく嫌な気持ちになる。前はこんなんじゃなかったのに…」
「それは、あんたが俺を好きだってことだろ」
「これが好きならもうやめる!」
柏木が息を飲む。
「このままじゃ、私が私じゃなくなっちゃうんだ…。だからもう、全部元に戻したい…柏木を知る前の私に、柏木を知る前の日常に、戻りたい…」
「…わかった。あんたがそうしたいなら、言う通りにする」
そう言って、柏木はドアに着いていた手をゆっくり離した。
私はまだ、足元を見ている。
短い沈黙の後、柏木は静かにこう言った。
「白貝歩。俺はずっとおまえが好きだった」
「入学式の日、式が始まる前に、満開の桜の下に立って、舞い落ちてくる花弁を見上げて、おまえは笑ってた。
桜の花だけで、こんなに嬉しそうに笑うやつがいるんだと思ったら、目が離せなかった。
式の間も、おまえのことばかり気になってた。
それからは、いつも、おまえの姿を探すようになってた。
1年のときに、おまえのクラスにしょっちゅう顔を出してたのは、友達に用があっただけじゃない。
おまえに会えるからだ。だから、用事がなくても、あるふりをして顔を出してた。
ずっと、おまえを見てた。
けど、おまえは俺のことなんて眼中にないってすぐわかった。
認識すらされてないから、告白したところで振られるのは目に見えてた。おまえはすぐに俺を忘れて、記憶にも残らないだろうってことも。
…それは絶対に嫌だった。
だから、おまえと関わる機会ができるまで待とうと思った。
おまえが俺を見て、俺を知って、意識するのを待ってた。
結局は臆病で、おまえに好かれてるって確信がないと近付けなかった。
だからおまえが俺を見るようになったとき、突然で驚いたけど、本当は嬉しかった。
やっとチャンスができたと思った。おまえに意識されたんだと思った。
好奇心だと言い張られても、信じなかった。おまえに自覚がないなら、させるまでだと思った」
「だけど、もう待つのをやめる。
もう俺を好きだと認めろと言わない。全部元に戻すよ」
視界から、柏木の足が見えなくなる。
階段を降りる足音が一歩ずつ遠くなる。
やがて、足音が聞こえなくなって、辺りが、しん、と静まり返る。
チャイムが鳴っても、その場を動けなかった。
20171021
背後から追ってくる足音が聞こえる。
逃げ切れないことはわかっているけれど、足を止められない。
階段を登り切って、ドアノブに手を掛ける。
とにかくドアを開けて、外へ飛び出してしまいたかった。
内開きのドアを開ける直前に、背後から柏木の手が伸びて、ドアを閉められる。
視界には、開けられなかったドアと、そこに着いている柏木の大きな二つの手。
全身が硬直する。
息が切れて、とても疲れていた。
「何で、逃げる…?」
背後から柏木の声がする。
柏木も、少し息が切れている。
柏木の両腕の間で、ゆっくり体を反転させた。
顔が見れなくて、俯いて、足元を見つめる。
「あんたが俺を避けてることは知ってた。けど、俺から逃げる理由がわからない。…あんたは俺を好きなんだと思ってた」
その言葉に体が強張る。
「…かもしれないって、言っただけだよ」
「それ、俺の目を見て言ってみろよ」
顔を上げられない。
「私、なんか、おかしいんだ…。
前は平気だったのに、今は柏木の顔が見れない。ドキドキして、心臓止まりそうになって、恥ずかしくて…。柏木の近くにいると、そわそわして、落ち着かなくなっちゃう。前みたいに普通に話せない。
それに、柏木のこと好きな女の子が柏木を見てると、すっごく嫌な気持ちになる。前はこんなんじゃなかったのに…」
「それは、あんたが俺を好きだってことだろ」
「これが好きならもうやめる!」
柏木が息を飲む。
「このままじゃ、私が私じゃなくなっちゃうんだ…。だからもう、全部元に戻したい…柏木を知る前の私に、柏木を知る前の日常に、戻りたい…」
「…わかった。あんたがそうしたいなら、言う通りにする」
そう言って、柏木はドアに着いていた手をゆっくり離した。
私はまだ、足元を見ている。
短い沈黙の後、柏木は静かにこう言った。
「白貝歩。俺はずっとおまえが好きだった」
「入学式の日、式が始まる前に、満開の桜の下に立って、舞い落ちてくる花弁を見上げて、おまえは笑ってた。
桜の花だけで、こんなに嬉しそうに笑うやつがいるんだと思ったら、目が離せなかった。
式の間も、おまえのことばかり気になってた。
それからは、いつも、おまえの姿を探すようになってた。
1年のときに、おまえのクラスにしょっちゅう顔を出してたのは、友達に用があっただけじゃない。
おまえに会えるからだ。だから、用事がなくても、あるふりをして顔を出してた。
ずっと、おまえを見てた。
けど、おまえは俺のことなんて眼中にないってすぐわかった。
認識すらされてないから、告白したところで振られるのは目に見えてた。おまえはすぐに俺を忘れて、記憶にも残らないだろうってことも。
…それは絶対に嫌だった。
だから、おまえと関わる機会ができるまで待とうと思った。
おまえが俺を見て、俺を知って、意識するのを待ってた。
結局は臆病で、おまえに好かれてるって確信がないと近付けなかった。
だからおまえが俺を見るようになったとき、突然で驚いたけど、本当は嬉しかった。
やっとチャンスができたと思った。おまえに意識されたんだと思った。
好奇心だと言い張られても、信じなかった。おまえに自覚がないなら、させるまでだと思った」
「だけど、もう待つのをやめる。
もう俺を好きだと認めろと言わない。全部元に戻すよ」
視界から、柏木の足が見えなくなる。
階段を降りる足音が一歩ずつ遠くなる。
やがて、足音が聞こえなくなって、辺りが、しん、と静まり返る。
チャイムが鳴っても、その場を動けなかった。
20171021