白貝と柏木
学校。
校外へ向かう人の流れをすり抜けて校内へと歩く。
昇降口を抜けて、階段を上がり、辿り着いた廊下はしんと静まり返っている。
どの教室も生徒は残っていないみたい。

教室の後ろのドアを開けると、誰もいないだろうと思っていた教室に人の姿があった。

すぐに誰かわかった。
ここ最近毎日見つめてるんだから見間違えるはずもない。

柏木春基の後ろ姿。
窓際、後ろから三列目。私の左斜め前の席。
机に突っ伏して、寝てる…?

足音を立てないように、ゆっくり、そうっと教室に足を踏み入れる。

定期はやっぱり自分の机の上に置いてあった。
瑠璃ちゃんが迎えに来る前に置いといて、そのまま忘れたんだ。
そっと手に持つ。

その間もピクリともしない背中。

もしかして、ほんとに寝てる??

柏木の席の横に立ってみる。

机の上に、組んだ両腕を枕にして、顔を横に向けて、眠っている。

柏木の寝顔…!レア…!

いつもは顔を下に向けてるから寝顔は見えない。

規則正しく、静かな寝息が聞こえる。

ほんとに、寝てる…。

きれいな寝顔…。
口開いたりとかしないんだなぁ…。
睫毛、まっすぐだ。
耳、ピアス穴開いてる…。

ふと、前髪に触ってみたくなった。

教室に他に人はいない。
グラウンドの運動部の声が窓から聞こえてくるだけ。

手、うずうずする。

ちょっとだけ。
ほんのちょっとだけ。
一瞬だけなら。

触っても、起きないよね…?

他に人はいないとわかっているのに辺りをキョロキョロ見渡した。

そして、そうっと、指先で髪に触れた。

思ってた通りさらさら。
でも柔らかくはない。毛先チクチクする。柔らかい針みたいなかんじ。

他人の髪に触れる機会なんてそうない。というか、初めてだ。

一瞬だけのつもりが、ついつい手が離せなくなる。

夢中になっていた、そのとき。

「何してる」

低い声。

はっとして我に返ると、目を開けて私を見ている柏木。

「ひ…っ!!」

ひええぇ!!って今日2回め…!

慌てて引っ込めようとした手首を、柏木の大きな手が掴んだ。

さーっと血の気が引いていく。

この状況はあれだ。
警察24時、みたいな番組でよくあるやつ。

現行犯逮捕…!!!

「今俺の髪触ったよな」
「や、あの、これは、その、ごっ、ゴミがっ、ついてた、ので…!」
「何もついてないけど」

柏木は、嘘だってわかってるけど一応見てやる、みたいな顔で私の手を見た。

やばい。

なんか私、満員電車で取り押さえられた痴漢みたいになってる…!

「…白貝歩」
「な、なんで、名前、知って…」
「同じクラスなんだから名前くらい知ってる」
「あ、そ、そうなんだ…」

一回も話したことなくても他人の名前って知ってるものなんだぁ…。
すごいな、とか感心したのも束の間。
手首を掴んでいた手を離しながら、柏木が言う。

「あんた、授業中隠れて俺のこと見てるな」

「みっ!見てない見てない…!気のせいじゃない…!?」

「授業中だけじゃなく休み時間も見てる。あんたはばれてないと思ってるみたいだけど、全部ばれてるから」

まだ言い逃れする?って目が言ってる。

シチュエーションが満員電車から取調室に変わった。
さしづめ私は尋問されてる容疑者。

「なんで見てる?」

「き、気に、なって」

「俺が?」

自分の顔を指しながら聞いた柏木に黙って頷いた。

柏木の切れ長の目が、驚いたのか僅かに見開かれて丸くなる。

「なんで髪に触った?」

「触ったらどんなかなって、気になって、そしたら、その、手が、動いちゃって…出来心と、いうか…」

「へえ…」

呟いて、柏木は目をすっと細めた。

もう完全に痴漢の言い訳と一緒だよ、私…!!
気になるからって寝てるとこ触ったらアウトだよね気持ち悪いよね!私だってわかってる!
こんなこと今までしたことなかったのに、なんで今日に限って本当に触っちゃったんだろう…!

これはもう危険人物認定されてクラス中に言いふらされて白い目で見られる流れかもしれない…!
よくて今年1年、悪くて卒業まで変態呼ばわり…!

私の平和な高校生活、終わる…!


目眩がしてきたところで、柏木の顔がニヤついてることに気がついた。

気持ち悪がるどころか、なんか、むしろこれは。

口角、上がってる。ていうか、笑ってる。

「あんた、俺のこと好きだろ」

「…はい??」

予想しなかった言葉に、ぽかんと口を開けて柏木の顔を見つめる私。

「なんでそうなる?」

今度は柏木が驚いたみたい。
切れ長の目がまん丸になった。

驚いた柏木!レア!と思ったのも束の間、すぐに元の冷静な表情に戻った。

「なんでって、あんたが言ったんだろ。気になるから俺のこと見て、触りたくなって髪に触ったって。今自分でそう言ったよな」

「それは言ったけど、好きとは一言も言ってない。今柏木が言ったのだって好きって言葉一回も出てないよ」

「だからそれはあんたが俺を好きってことだろ」

「えぇぇ?どこがぁ?」

全然わかんない。数学の授業みたい。
ていうか、瑠璃ちゃんといい、柏木といい、なんでそうなる?

「柏木がどんな人なのかなって興味があるだけで、好きなわけじゃないよ」

「…それ、本気で言ってる?」

「うん」

柏木は黙り込んで、大きな手で目を覆ってがっくり項垂れた。
この反応されるの今日2回めだ。
なんなの?頭痛流行ってるの?

「…わかった」
「ほんと!?」

わかってくれる!?
これは純粋な好奇心だってこと!!

私の顔がぱぁっと輝いたまさにそのとき。

「あんたが俺のこと好きだって認めるまで待ってやる」

…ん?

「…柏木私の話聞いてた?」
「聞いてたよ。興味があるってだけで好きではないんだろ?」
「そう」

あれ、ちゃんと聞いてる。
聞いてるのになんでそうなる??

「今日のことは黙っといてやるから」

そう言い残して柏木はさっさと教室を出て行った。

一人残された私は呆然と立ち尽くした。

だんだん今起きた事の重大さに気付き始める。

柏木の寝顔を真近で見たこと。
髪に触ったこと。それがばれたこと。
手を掴まれたこと。
名前を呼ばれたこと。
今まで隠れて見てたのが全部ばれてたこと。

それから、

ー俺のこと好きだろ
ー認めるまで待ってやる

なぜか、私が柏木を好きだと思われたということ。

定期取りに来ただけだったのに、いったい何でこんなことになったの?

自分がしでかした事のとんでもなさと柏木の理解不能な言葉に、ひとり頭を抱えてその場に蹲った。

20171006
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