白貝と柏木
その後も、柏木が私を見たり、話しかけてくるようなことはなかった。
私は朝から、昨日の出来事について何か言われるのでは、昨日みたいに急に振り返って柏木のあの眼でじっと見てくるのでは、そんなことばかり考えてしまってずっとそわそわして落ち着かないでいた。
放課後。
チャイムが鳴るのを聞いて深く息を吐いた。
一日中緊張して、生きた心地がしなかったから、疲れがどっと押し寄せてきた。
長い1日だった…。
しかし、柏木はまだ目の前にいる。
一人、また一人と教室を去って行く中、柏木が振り返った。
き、きた…!!
私と柏木を除く最後の一人が教室を出て行ったのを見ると、席を立って、こっちへ近づいてくる。
逃げたくても足が動かない。
こういうの、蛇に睨まれた蛙って言うんだっけ??
というより、檻の中で肉食獣と2人きりっていうのがピッタリかもしれない。
「これ、あんたのだろ」
柏木が手を差し出す。
手の中には私のバス定期。
「昨日、帰ってカバン開けてみたら中に入ってた」
「そういえば、昨日の帰りも、今日の朝も、現金でバス代払ってた…」
あのとき。
柏木の髪に触ってたとき、柏木が目を覚まして私の手を掴んだときに、驚いて手から落としたんだ。
そして足元に置いてあった柏木のカバンの中に入った。
「すっかり忘れてたぁ…柏木のことばっかり考えてたから、気がつかなかったんだ…」
「…へぇ」
「けどなんか意外…定期人質にとって意地悪い交換条件とか出してくるかと思った」
「した方がよけりゃ今からしてやるけど」
「いいえとんでもない!!ご迷惑おかけしましたっ!!」
慌てて柏木の手から定期を取った。
「…あの、柏木、昨日のことなんだけど」
柏木は話が長くなりそうだと察して、私の前の席の椅子を引いた。
私も椅子に座り直す。
柏木は私の方を向いて座って、椅子の背もたれの上に組んだ両腕を乗せて、その上に顎を置いた。
「私が柏木を気になるって言ったのはただの好奇心であって恋愛感情じゃない。柏木は、私が柏木を好きって認めるまで待つって言ったけど、好きじゃないから待ってても認める日は来ないよ」
「ほとんど昨日聞いた話と同じだけど、あんたはそのうち俺が好きって認めると思うよ」
「もし仮に、認めたら、そのときはどうすればいいの?柏木に申告すればいいの?」
「そうだな。言いに来て」
「その後は?どうするの?」
「そのときになればわかる」
「じゃあ、昨日言ったこと、撤回する気はないんだね…?」
「そうだな」
これ以上何を言っても気は変わらなさそうだ。
「俺も訊きたいんだけど、あんたどうして俺が気になり出した?今まで俺の名前も知らなかったのに」
「あ〜…それは…4月の終わりの、あったかくて天気がいい日、数学の授業の最中だったんだけど、授業つまんないなーとか、天気がよくていいなーとか思って、窓の外見てたら、柏木も窓の外見てて」
「そうだっけ?」
「そうだよ!私覚えてるもん!こうやって、頬杖ついて窓の向こう眺めてた!」
断言できる。忘れるはずない。
今でもあの瞬間を鮮明に覚えてる。
柏木の目が僅かに見開かれる。
「最初は、何を見てるんだろうって気になった。私それまでは誰かのことそんなによく見ることなかったんだけど、柏木の姿は周りの人と違って見えた。そんなの初めてだったから、この人何なんだろうってすごく気になった。それで、気付いたら、柏木のこと見るようになってた。だから、それ以来柏木のことこっそり観察してた。研究のデータを集めようと思って…」
それまで、黙ってじっと私を見ていた柏木が、ふは、と破顔する。
「じゃあ昨日俺の髪触ってみてどんなデータ集まった?」
「さらさら。でも髪質は硬かった、と思う…」
「へぇ…」
正直、昨日は柏木にばれて頭の中真っ白になっちゃったし、例の待ってやる発言に悩んでて、髪の感触に関する記憶は朧げだった。
「もう一回、触ってみれば?」
「えっ、いいの??」
「いいよ」
「じゃあ、遠慮なく…」
手を伸ばして、前髪と、つむじに近いところを触る。
昨日触った感触を確かめていく。
さらさら。けど猫っ毛みたいに柔らかくはない。硬くて丈夫そうな髪。
この手触り好きだなぁ…。
触っているというより、撫でていた。
柏木は気持ち良さそうに目を細めて、口元を緩めている。
肉食獣というより、招き猫みたいな顔になってる。
なんか、かわいい…。
「柏木、友達になるっていうのはどう?」
「断る」
とろんとしてた目が、一瞬で鋭くて冷えた目になる。
招き猫モードから野生の虎に切り替わった。
「ダメかぁ〜…友達なら、今すぐなれそうなんだけどなぁ〜…」
「友達なんか絶対嫌だね。言ったろ、好きだって認めるまで待ってやるって」
「でも違うんだよ〜…」
私の言葉なんて気にしないとでも言っているような自信のある目でにやりと笑う。
「気長に待つよ」
そう言ってから、もっと撫でろとでも言うように頭が掌をそっと押してくる。
撫でると、柏木はまた招き猫の表情になったから、私もしばらくそのまま、柏木の髪を撫で続けた。
20171009
私は朝から、昨日の出来事について何か言われるのでは、昨日みたいに急に振り返って柏木のあの眼でじっと見てくるのでは、そんなことばかり考えてしまってずっとそわそわして落ち着かないでいた。
放課後。
チャイムが鳴るのを聞いて深く息を吐いた。
一日中緊張して、生きた心地がしなかったから、疲れがどっと押し寄せてきた。
長い1日だった…。
しかし、柏木はまだ目の前にいる。
一人、また一人と教室を去って行く中、柏木が振り返った。
き、きた…!!
私と柏木を除く最後の一人が教室を出て行ったのを見ると、席を立って、こっちへ近づいてくる。
逃げたくても足が動かない。
こういうの、蛇に睨まれた蛙って言うんだっけ??
というより、檻の中で肉食獣と2人きりっていうのがピッタリかもしれない。
「これ、あんたのだろ」
柏木が手を差し出す。
手の中には私のバス定期。
「昨日、帰ってカバン開けてみたら中に入ってた」
「そういえば、昨日の帰りも、今日の朝も、現金でバス代払ってた…」
あのとき。
柏木の髪に触ってたとき、柏木が目を覚まして私の手を掴んだときに、驚いて手から落としたんだ。
そして足元に置いてあった柏木のカバンの中に入った。
「すっかり忘れてたぁ…柏木のことばっかり考えてたから、気がつかなかったんだ…」
「…へぇ」
「けどなんか意外…定期人質にとって意地悪い交換条件とか出してくるかと思った」
「した方がよけりゃ今からしてやるけど」
「いいえとんでもない!!ご迷惑おかけしましたっ!!」
慌てて柏木の手から定期を取った。
「…あの、柏木、昨日のことなんだけど」
柏木は話が長くなりそうだと察して、私の前の席の椅子を引いた。
私も椅子に座り直す。
柏木は私の方を向いて座って、椅子の背もたれの上に組んだ両腕を乗せて、その上に顎を置いた。
「私が柏木を気になるって言ったのはただの好奇心であって恋愛感情じゃない。柏木は、私が柏木を好きって認めるまで待つって言ったけど、好きじゃないから待ってても認める日は来ないよ」
「ほとんど昨日聞いた話と同じだけど、あんたはそのうち俺が好きって認めると思うよ」
「もし仮に、認めたら、そのときはどうすればいいの?柏木に申告すればいいの?」
「そうだな。言いに来て」
「その後は?どうするの?」
「そのときになればわかる」
「じゃあ、昨日言ったこと、撤回する気はないんだね…?」
「そうだな」
これ以上何を言っても気は変わらなさそうだ。
「俺も訊きたいんだけど、あんたどうして俺が気になり出した?今まで俺の名前も知らなかったのに」
「あ〜…それは…4月の終わりの、あったかくて天気がいい日、数学の授業の最中だったんだけど、授業つまんないなーとか、天気がよくていいなーとか思って、窓の外見てたら、柏木も窓の外見てて」
「そうだっけ?」
「そうだよ!私覚えてるもん!こうやって、頬杖ついて窓の向こう眺めてた!」
断言できる。忘れるはずない。
今でもあの瞬間を鮮明に覚えてる。
柏木の目が僅かに見開かれる。
「最初は、何を見てるんだろうって気になった。私それまでは誰かのことそんなによく見ることなかったんだけど、柏木の姿は周りの人と違って見えた。そんなの初めてだったから、この人何なんだろうってすごく気になった。それで、気付いたら、柏木のこと見るようになってた。だから、それ以来柏木のことこっそり観察してた。研究のデータを集めようと思って…」
それまで、黙ってじっと私を見ていた柏木が、ふは、と破顔する。
「じゃあ昨日俺の髪触ってみてどんなデータ集まった?」
「さらさら。でも髪質は硬かった、と思う…」
「へぇ…」
正直、昨日は柏木にばれて頭の中真っ白になっちゃったし、例の待ってやる発言に悩んでて、髪の感触に関する記憶は朧げだった。
「もう一回、触ってみれば?」
「えっ、いいの??」
「いいよ」
「じゃあ、遠慮なく…」
手を伸ばして、前髪と、つむじに近いところを触る。
昨日触った感触を確かめていく。
さらさら。けど猫っ毛みたいに柔らかくはない。硬くて丈夫そうな髪。
この手触り好きだなぁ…。
触っているというより、撫でていた。
柏木は気持ち良さそうに目を細めて、口元を緩めている。
肉食獣というより、招き猫みたいな顔になってる。
なんか、かわいい…。
「柏木、友達になるっていうのはどう?」
「断る」
とろんとしてた目が、一瞬で鋭くて冷えた目になる。
招き猫モードから野生の虎に切り替わった。
「ダメかぁ〜…友達なら、今すぐなれそうなんだけどなぁ〜…」
「友達なんか絶対嫌だね。言ったろ、好きだって認めるまで待ってやるって」
「でも違うんだよ〜…」
私の言葉なんて気にしないとでも言っているような自信のある目でにやりと笑う。
「気長に待つよ」
そう言ってから、もっと撫でろとでも言うように頭が掌をそっと押してくる。
撫でると、柏木はまた招き猫の表情になったから、私もしばらくそのまま、柏木の髪を撫で続けた。
20171009