物言えば唇寒し秋の風
*余計なこと考えるんじゃなかった。
休日の午前十時──当直から外出証をもらった向井 時弥(むかい ときや)は、警衛にそれを見せて駐屯地をあとにする。
そこから少し歩いて駅に着くと電車に乗り、目当ての店の前で待ち合わせの相手を待つ。しばらくすると長身の男が時弥に軽く手を上げてゆっくりと近づいてきた。
「すまん」
「大丈夫、待ってない」
同僚の八尾 杜斗(やお もりと)が到着し、オータムフェアと題されたのぼりを横目に自動ドアをくぐる。
昨今のミリタリーブームに伴い、この雑貨店でも期間限定でやり始めた企画だ。
適当に揃えた感は否めないものの、店主のビギナーズラック的なチョイスに思いも寄らぬアイテムがあったりするところが魅力の一つなのかもしれない。
支給品があるじゃないかと言われるだろうが、自腹で揃えたいものだってあるのだ。
共に二十代半ばを過ぎた彼らは同級生とか幼なじみとかそういうものではなく、元々なんの接点もなかった。しかし、とある事件がきっかけで知り合い、それから二人はよくつるむ仲になる。
かなり馬鹿げた事件ではあったが命に関わるものだったことは確かで、大きな怪我もなく気の合う友人が出来たことは喜ばしい。
彼女のいない二人はそれに焦る訳でもなく、人生を大いに楽しんでいる。
しかし、
「姉さんに見られたら絶対、誤解されるよなあ」
並べられたミリタリーグッズを前にしてぼそりとつぶやく。
時弥の姉は結婚して実家を出ても、可愛い弟を使い走りにしつつ常に気に掛けている。少し歳の離れたしっかりした姉のせいもあり、両親は時弥の面倒をみることがほとんどなかった。
その甲斐あって、時弥は立派に姉にこき使われる弟に成長した。料理が得意なのも、スポーツが得意なのも、自衛隊に入ったのだって姉にそそのかされ──もとい、ひと言で決まったものである。
「可愛い弟を変な女に取られるくらいなら、彼のような男性に寝取られた方がいいわ」と言うくらいには、姉は杜斗を気に入っている。
「ただの友達だって言ってるのに」
こんな光景を見られようものなら、
「デート?」
と言われても不思議じゃ──ん?
「姉さん!? なんでここに」
「チラシ入ってたから気になって」
姉さんの家はこの店からはかなり遠いのに、そんな遠くまでチラシ入れに行く気力はいらないと思います。
姉の茜はミリタリーに興味があるという訳じゃない。チラシを見てふと、自衛隊に入った弟のことを思い出し、なんとなく店を訪れただけなのだ。
「上手くやってるじゃなーい」
「何をかな」
「今日はデートでしょ?」
「じゃないです」
「あんたたち、お似合いよ」
「意味がわかりません」
「いつか、隣にこんなにいい相手がいたなんてって思うときがくるわ」
なんの悟りなんだろう。俺にはわからない。
「いい? 進展したら絶対にあたしに報告するのよ」
「恋人が出来たらね」
姉の言葉を逸らしつつ答える。
「あ、茜さん。こんにちは」
「杜斗くん、こんにちは」
他の棚を見ていた杜斗が戻ってきた。百七十センチの時弥と百八十五センチの杜斗が並ぶと、まさに理想の身長差だわと思わず茜の顔が緩む。
何をにやけているんだろうといぶかしげに見やり、知らないふりをした。
「杜斗くん、またガタイがよくなった?」
「それほど変わっていないと思います」
「だよね」
「まあそれくらいがいいわよね」
時弥には──という言葉を弟はスルーする。
「あたしはこれから予定があるから、じゃあね。時弥をよろしくね~」
笑顔で店を出て行く。
「相変わらずだな。お前の姉さん」
「うん……」
杜斗は騒がしいなという意味合いだろうけど、姉さんはいつまで俺と杜斗の関係を誤解し続けるのだろうか。
杜斗はとてもいい奴だから幸せにはなって欲しい。だけど、「俺と」という意味じゃ決してない。
しかし、俺は果たして、姉さんの眼鏡に適う彼女など見つけることが出来るのだろうか。不安でしかない。
──舞い込んできた嵐は過ぎ去ったので、心置きなく商品を眺めては会話をし、いくつか見繕って雑貨店を出た。
駅への途中に見えたイタリアンの店で夕飯をとる。
「あ、松茸スパゲティだってさ」
「和風か」
「醤油ベースって書いてあるね」
他にも茄子などを使ったものらしい。
高いようでいてそうでもない値段に驚きつつ二人はそれを注文し、松茸の風味を存分に味わった。
「は~、美味しかった!」
美味しいものが食べられるのは幸せだなと駅に向かう。
陽が落ちると途端に気温が下がるのか、ホームにはカーティガンを羽織っている女性が多く見受けられた。
辺りはすっかり暗くなり、それもあって夏ももう終わりなんだなと実感する。そして、これから訪れる寒い冬を思いげんなりした。
「あ」
時弥はふと、昨日は十五夜だったなと思い起こす。
じゃあ今日は──
「十六夜だ」
そのつぶやきに促され、杜斗はホームの屋根越しに夕空を仰いだ。
「綺麗だな」
「うん、明日は雨だね」
赤い月に余計なひと言を乗せた。
END
物言えば唇寒し秋の風:物言えば唇寒し秋の風とは、人の悪口を言えば、なんとなく後味の悪い思いをするというたとえ。また、余計なことを言えば災いを招くというたとえ。
そこから少し歩いて駅に着くと電車に乗り、目当ての店の前で待ち合わせの相手を待つ。しばらくすると長身の男が時弥に軽く手を上げてゆっくりと近づいてきた。
「すまん」
「大丈夫、待ってない」
同僚の八尾 杜斗(やお もりと)が到着し、オータムフェアと題されたのぼりを横目に自動ドアをくぐる。
昨今のミリタリーブームに伴い、この雑貨店でも期間限定でやり始めた企画だ。
適当に揃えた感は否めないものの、店主のビギナーズラック的なチョイスに思いも寄らぬアイテムがあったりするところが魅力の一つなのかもしれない。
支給品があるじゃないかと言われるだろうが、自腹で揃えたいものだってあるのだ。
共に二十代半ばを過ぎた彼らは同級生とか幼なじみとかそういうものではなく、元々なんの接点もなかった。しかし、とある事件がきっかけで知り合い、それから二人はよくつるむ仲になる。
かなり馬鹿げた事件ではあったが命に関わるものだったことは確かで、大きな怪我もなく気の合う友人が出来たことは喜ばしい。
彼女のいない二人はそれに焦る訳でもなく、人生を大いに楽しんでいる。
しかし、
「姉さんに見られたら絶対、誤解されるよなあ」
並べられたミリタリーグッズを前にしてぼそりとつぶやく。
時弥の姉は結婚して実家を出ても、可愛い弟を使い走りにしつつ常に気に掛けている。少し歳の離れたしっかりした姉のせいもあり、両親は時弥の面倒をみることがほとんどなかった。
その甲斐あって、時弥は立派に姉にこき使われる弟に成長した。料理が得意なのも、スポーツが得意なのも、自衛隊に入ったのだって姉にそそのかされ──もとい、ひと言で決まったものである。
「可愛い弟を変な女に取られるくらいなら、彼のような男性に寝取られた方がいいわ」と言うくらいには、姉は杜斗を気に入っている。
「ただの友達だって言ってるのに」
こんな光景を見られようものなら、
「デート?」
と言われても不思議じゃ──ん?
「姉さん!? なんでここに」
「チラシ入ってたから気になって」
姉さんの家はこの店からはかなり遠いのに、そんな遠くまでチラシ入れに行く気力はいらないと思います。
姉の茜はミリタリーに興味があるという訳じゃない。チラシを見てふと、自衛隊に入った弟のことを思い出し、なんとなく店を訪れただけなのだ。
「上手くやってるじゃなーい」
「何をかな」
「今日はデートでしょ?」
「じゃないです」
「あんたたち、お似合いよ」
「意味がわかりません」
「いつか、隣にこんなにいい相手がいたなんてって思うときがくるわ」
なんの悟りなんだろう。俺にはわからない。
「いい? 進展したら絶対にあたしに報告するのよ」
「恋人が出来たらね」
姉の言葉を逸らしつつ答える。
「あ、茜さん。こんにちは」
「杜斗くん、こんにちは」
他の棚を見ていた杜斗が戻ってきた。百七十センチの時弥と百八十五センチの杜斗が並ぶと、まさに理想の身長差だわと思わず茜の顔が緩む。
何をにやけているんだろうといぶかしげに見やり、知らないふりをした。
「杜斗くん、またガタイがよくなった?」
「それほど変わっていないと思います」
「だよね」
「まあそれくらいがいいわよね」
時弥には──という言葉を弟はスルーする。
「あたしはこれから予定があるから、じゃあね。時弥をよろしくね~」
笑顔で店を出て行く。
「相変わらずだな。お前の姉さん」
「うん……」
杜斗は騒がしいなという意味合いだろうけど、姉さんはいつまで俺と杜斗の関係を誤解し続けるのだろうか。
杜斗はとてもいい奴だから幸せにはなって欲しい。だけど、「俺と」という意味じゃ決してない。
しかし、俺は果たして、姉さんの眼鏡に適う彼女など見つけることが出来るのだろうか。不安でしかない。
──舞い込んできた嵐は過ぎ去ったので、心置きなく商品を眺めては会話をし、いくつか見繕って雑貨店を出た。
駅への途中に見えたイタリアンの店で夕飯をとる。
「あ、松茸スパゲティだってさ」
「和風か」
「醤油ベースって書いてあるね」
他にも茄子などを使ったものらしい。
高いようでいてそうでもない値段に驚きつつ二人はそれを注文し、松茸の風味を存分に味わった。
「は~、美味しかった!」
美味しいものが食べられるのは幸せだなと駅に向かう。
陽が落ちると途端に気温が下がるのか、ホームにはカーティガンを羽織っている女性が多く見受けられた。
辺りはすっかり暗くなり、それもあって夏ももう終わりなんだなと実感する。そして、これから訪れる寒い冬を思いげんなりした。
「あ」
時弥はふと、昨日は十五夜だったなと思い起こす。
じゃあ今日は──
「十六夜だ」
そのつぶやきに促され、杜斗はホームの屋根越しに夕空を仰いだ。
「綺麗だな」
「うん、明日は雨だね」
赤い月に余計なひと言を乗せた。
END
物言えば唇寒し秋の風:物言えば唇寒し秋の風とは、人の悪口を言えば、なんとなく後味の悪い思いをするというたとえ。また、余計なことを言えば災いを招くというたとえ。