さまよう爪
小野田さんはさぁ。

「あの頃に戻りたいとかある?」

話がころころ変わる。質問の意図が掴めず眉間にシワが寄る。それでもなにやら別の意図が透けて見えないこともない。

しかも答える前に、

「正直俺はね」

俺は、あの頃に戻りたいかも。

突然変わった声色。力ない呟きに驚いて、左を見入ってしまう。

そこにあるのは横顔だった。くぼんだ目の下にとどまるのは、くすんだ影。

「大丈夫ですか?」

と思わず問いかけていた。やっぱりあんな場所で寝たからと。

「うん?」

瀬古さんがきょとんとした顔を向けてくる。やはり少し、疲労をにじませた顔を。

すぐにウーンと唸られて、ぼそり。

そうかもなぁ。

「俺、疲れてんのかも」

穏やかな笑み。 

「でも俺まだ、全然平気ですから」

平気ですから。

しゃあしゃあと言い切られても、その顔では説得力がない。

「……瀬古さん」

「なに」

「駅まで送っていってあげる」

「いいんすか」

「いいんすよ」

さっと隣の手を取って、一緒に行こうと促し、一緒に、歩きだしていた。

2人でゆっくりゆっくり歩きながら、休日の朝の、人の少ない駅前通りを歩いた。
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