さまよう爪
「前、知らずに誕生日にマニキュアなんて贈ったらめちゃくちゃキレられたんだけど」

ずっと持っててくれたんだよねそのマニキュア。

だからそのマニキュアを塗ることにした。

と語る瀬古さんは、いま目の前にいる彼は。わたしの知っている、瀬古瑛士だろうか。

視線を、空のグラス。プレートに残ったパセリ。――からあげて瀬古さんをちゃんと見る。

顔色が悪い。

視線が絡まってしまった。瀬古さんは、えくぼを浮かべて苦笑い。

自分はどういう表情をつくったらいいか、わからない。

頭の中でいつかの瀬古さんの台詞をくりかえす。

(……大きな悲しみや苦しみも、時間で解決してくれないんだよねぇ)

(今でも愛してるのぉ)

(うん愛してるよ)

(マコは俺の女神様なんだ)

(……マコ?)

(や、愛してるけど彼女は)

唇が震える。

「……瀬古さん」

声も震えていた。


マコさんはもう、いないんですか。


『愛しい人の名前と、愛してる。っていうのは相手が聞こえなくなったときに数え切れないくらい伝えたくなる言葉なのよ』

母親の言葉を聞いてから、ずっと胸につかえていた。

もし間違いならわたしはとんでもないことを言った。

でも、つじつまがあった。

こくりと喉の鳴る音が聞こえた。瀬古さん。目の前で、ゆっくり揺らぐ喉ぼとけ。

これから何か言うつもりだ。飲み物で適度に湿った唇が、動いている。
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