さまよう爪
「あの日はホテルを出てすぐ別れたんだ。もうずっと一生会うことはないだろう。名残惜しくなるからここでバイバイって。マコはそれから呑んでたみたいだけどひとりで。だから、ひとりにさせなければよかったのかな。一緒にいればよかったのかな。彼女はひどく酔っててね、目撃しした人によるとふらふらと歩道橋を歩いていた彼女はずっと上機嫌で夜空に出た月を掴もうとしてたって」

何度も何度も。

でもさ小野田さん。

「俺気づいちゃったんだよ」

だんだん動悸がしてくる。

聞きたくない。聞きたくないのに動けない。でも手の震えが止まらない。冷たいけど寒いわけじゃない。クリームソーダのせいでもない。

気づいちゃったんだよ。

それは月を掴もうとしていたんじゃなくて、

「月明かりに爪を照らして見てたってこと」

そして、彼女は歩道橋の階段から足を滑らせたらしい。

何か言わなくちゃ。喉がぎゅうっと締めつけられているかのよう。声が出ない。

俺がマニキュアをマコの爪に塗らなければこんなことにはならなかったのかも。

「そもそも俺がマニキュアなんかを贈らなければマコは死ななかったかも」

喉の奥で短くひゅっと息が鳴った。

「そんなのっ」

ボリュームを自分でもコントロール出来ずに意外と大きな声が出た。

そんなの。

憶測に過ぎないじゃないですか。

ふらふらになるまで酔ってたんだから。

徐々に小さく弱々しくなるわたしの声。

「うん。それ旦那さんにも言われたよ」

「……」

発した声は、自分の耳にも届かなかった。あまりにも小さすぎて。

彼女の両親からもあなたのせいじゃないってね言われたよ。

静かだけどよく聞こえてくる瀬古さんの声。

「それから俺。爪を綺麗にしてる人に目がいくようになってさ。あの日、マコがしていた爪を無意識に探してたのかもしれない」
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