さまよう爪
火曜日。
江ノ電に揺られながら見る七里ヶ浜の海は、霧のような雨にけぶっていた。一定のリズムで揺れる電車の椅子は、ひたすら眠気を誘う。昨日はよく眠れなかった。
秋冬用の喪服は、体のサイズが昔と変わっておらず、ちゃんと着られたので安心した。
爪の真紅は、結局落とし損ねてしまい、誰に言われるまでもなく葬式に赤い爪はご法度だったが、ちょうど喪服に合わせた黒い手袋があるので、それをはめて出席しようと思った。
心の隅でこのあの日と同じ赤い爪を見ればあの人もわたしを思い出すんじゃないか。思っていた。
父親の思い出、というのは、思い返そうとしたがほとんど浮かんでこない。母親よりだいぶ年齢が上で、母親とも初婚ではなく再婚だったということしか知らない。
わたしが物心ついたとき、そう、4歳か5歳くらいのときには、母はもう父と離婚し、夜の街で働くようになっていた。
だからもう、父親なんていないもの、と思っていた。まさか、母が、今でもその消息を知っていたとは、思いもしなかった。
鎌倉駅で降り、折りたたみ傘と着替えが入ったボストンバッグを抱えて改札を出ると、母親の今の結婚相手であり、わたしの義父にあたるマサキさんが、車で迎えに来てくれていた。
「すみれさん、悪いね。ゆき子が我が儘を言って」
「こちらこそ、母がいつもご迷惑をおかけし、申し訳ありません」
頭を下げると、マサキさんさんは「いやいや」と右手を顔の前で振った。