さまよう爪
「……小野田さん」

わたしは何となくまた目を瞑ってしまい開けられない。

「まあ、いいよ。聞いててなくても。小野田さん、俺の話、わからないところがあったら、わからないでいい。わかるようになるまで、覚えておいてくれればいいよ。脂が乗るって言葉あるでしょ? 魚とかでさ。マコと別れたときあたりが、ようやく、俺も、魚でいうとおいしい時期あたりにさしかかってたんだよ」

ちょっと早々わからない。

うっすら開けた横目で彼を見れば、腕組みをしている。

責任ある仕事を任せられるようになるし、部下も頼りにしてついてきてくれるし。

わたしに問いかけるというより自分語りに近くなってきた。

「毎日ただ仕事仕事で、帰ってきたところで楽しいことなんてない。そのうちわざと仕事を忙しくして、土日もろくに帰らないよう、自分で自分を仕向けた。そしたらいい加減休めって怒られて渋々有休をとったらいつも店でよく見かける美人が電車に揺られながらものすごい形相でめちゃくちゃ具合が悪そうにしててさ」

……美人はまあおいといて、それはわたしのことだ。

「毎夜クラブ通いして気を紛らわせていたら今度は美人がギャン泣きして荒れ狂ってるし」

瀬古さんの横肩が震える。笑っているようだ。

それもわたし。

「彼女が死んだのに自分はなんで死なないでいるんだろうって思ってた。いまのままでいたって、こんな、望みもしなかった道を歩んで、なんにも自由にできないままに、いつのまにか年老いて死ぬのに。毎日、ちょっとずつ、腐り落ちていくのに」

わたしは毛布から手をだし、彼の肘を掴む。

「死んじゃやだよ」

いったん目をつむり、ゆっくりと開ける。

視界の先には瀬古さんの空笑い。

「ありがと。俺もやだって思ったよ。生きながら死んでいくのが、泣き叫びたいほど怖かった。俺は俺から、本当の俺を救い出してやらなきゃって思ったんだ。だから、全部ひとりで決めた。そういうわけ。……全部話す、って決めた。話したよ。何もかもうまくいったわけじゃないけど、こうやって、小野田さんと一緒にいられる時間が増えたのは、よかったと思う」
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