風と今を抱きしめて……
 五月も終わりに近づき、梅雨の前の暑い日が続いている土曜日の午後だった。

 一郎の勤める旅行会社の入り口に、淡い水色のワンピースに方までの髪を軽くウエーブし、中を伺うように女性が入って来た。

「あっ、一郎久しぶり」

 その女性が一郎を見つけ声を掛けてきた。友紀子だとすぐに分かった。

 あの頃と変わらない、きれいな目と笑いかけているような口元が懐かしかった。


「どうしたんだ、急に。」

 一郎は突然の訪問に驚きを隠しきれなかった。


「おばさんに聞いたら、ここに居るっていうから」

 友紀子の後ろから、女の子がひょこっと顔を出した。


「こんにちには」

 友紀子の幼い頃にどことなく似た、可愛い目をしていた。


「娘の真矢。もうすぐ十歳になるの」


「こんにちは」

 一郎はやさしく声をかけ、二人をテーブルに促した。


 友紀子は大学を卒業し、夢であった学校の先生になり、あの時友紀子を東京へと導いた先輩の雨宮と結婚した事は、一郎の母愛子から聞いて知っていた。


「実はね、夏休みに主人と三人で初の海外旅行に行こうって事になって…… 一郎の所でお願いしようかと……」

 友紀子が昔と変わらない無邪気な瞳で一郎を見た。


「もちろん。大歓迎だよ」


「それがね…… ちょっと相談に乗って欲しい事があって……」


 すると、真矢が肩にかけていたピンク色のポシェットから、一冊のノートを出した。


「これ、見てもらえますか?」

 少し緊張した声で真矢がノートを差し出した。


 一郎はノートを開き目を見張った。

 とても小学生がまとめたとは思えない、グアム旅行の予定が自宅出発し帰宅するまでや、パスポートの取り方までも、色鉛筆でカラフルにまとめられていた。


「よくここまでまとめたね。どうやって調べたの?」

 一郎が尋ねた。


「ガイドブックや、旅行会社の前にあったパンフレットをもらって来たの」
 
 真矢は嬉しそうな声を上げた。

「それは大変だっただろう」


「全然。すごく楽しかった」

 真矢はニコニコと一郎を見た。


「お勉強もそのぐらい、集中出来るといいのだけどね」

 友紀子が軽く真矢を睨んだ。

「真矢の計画に近い旅行なんてお願いできるのかしら?」


「もちろん! 色々と調べてみよう」

 一郎は席を立った。


 友紀子が一郎の背中に向かって、

 「予算も限られているの。なんとかお願い」

 一郎は振り向き、真矢にウィンクをし、自分のデスクへと向かった。


 様々な資料やパンフレットを手にし、真矢の計画を見ながら話を進めていった。


「まずはフリーのツアーを申し込んだ方がいいかな。空港送迎もあるしね。そこへオプションを着けていこう。出発日によっても旅行代金が変わってくるから、その辺で節約できるかな」

 一郎の話に、真矢は目をきらきらと輝かせ、様々な質問をしては考えている。

 二時間ほど話が続いたが、一郎は飽きなかった。


 夏休みまでにすこし時間はあるが飛行機の空席は少なくなっている物もあるので、ツアーの予約まで話は進んだ。

 真矢は満足したように、万弁の笑みを見せて帰って行った。
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