あなたの溺愛から逃れたい
あなたの結婚
「ありがとうございました。どうぞ、またお越し下さいませ」

丁寧に頭を下げ、樫本様ご夫婦を従業員数名でお見送りする。

三泊四日して下さった樫本様ご夫婦は、旅館でゆっくり温泉に浸かり、料理長の用意した旬の彩りをも愉しめる斎桜館自慢の一つである食事も堪能していただいた。
創太に言われ、私が提案した観光名所にも出向き、楽しんで下さったとのことだった。


樫本様の姿が見えなくなってから、私たちはそれぞれ持ち場に戻る。


そのタイミングを見計らったかのように、創太が耳元で「逢子」と呼んで、私の右手をそっと握ってくるけれど……


「だ、駄目っ」

その手を、思わず振り払ってしまった。


しまった、と思いながら創太の顔を見上げると、ぽかんとした表情をしていて。


「ご、ごめん」

慌ててそう言って、私はその場から逃げるようにして去った。


……創太を拒否してしまった。

だけど、これでいいんだよね。創太からの愛から逃げるって決めたんだから。


たとえ嫌われても……それが創太のためなんだから。



その後、創太から逃げ出した私は大浴場の清掃をしていた。

お風呂は日本の特徴的な文化。観光や料理ではなく、温泉を目的に斎桜館へ宿泊しに来てくださる方も多い。お客様にとって、肉体的にも精神的にも疲れを癒せる空間であるよう、常に清潔を保たなければ。

そう意気込みながら、ブラシでタイルの汚れを擦っていると、突然ガラッという大きな音を立てて浴場の引き戸が開いた。
驚いて振り向いた私は、そこに立っていた人物を見て更に目を見開く。

「創……若旦那様⁉︎」

そこにはムスッとした表情で私を見つめる創太の姿があった。
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