あなたの溺愛から逃れたい
その後は創太と会話することなく、顔を合わせることすら殆どないまま夜を迎えた。


「あ、吉野さん。あとはゴミをまとめるだけですし、私がやっておきます」

同じ仲居仲間の吉野さんにそう声を掛けると、彼女は「あら、そう?」と微笑む。
吉野さんは二年前からこの旅館で住み込みで働き始めた女性で、年齢は私の十歳年上の三十八歳。少し膨よかな体型をしており、大らかで優しい性格をしている。


一緒に片付けを行なっていた食堂から吉野さんが出て行くと、私は創太のことを考えながら溜め息を一つ吐いた。


女将はいつから私たちのことに気付いていたんだろう。

女将が気付いていたということは、旦那様だって知っているんじゃ?

知ってて、今までずっと黙っててくれていたんだよね。きっと、私の為に。


恩を仇で返す、というのはこういうことなのかもしれない。私なんかが創太と……なんて、本当に失礼なことをしていた。


そんなことを悶々と考えていると、食堂の引き戸がガラリと開いた。

吉野さんが何か忘れ物でもして戻ってきたのだろうかと思い、戸の方へ顔を向けると。


「そっ……若旦那様⁉︎」

そこにいた創太は、何故か立ったまま無言で私を見つめている。


「あの……?」

「敬語」

二人きりだから敬語をやめろ、ということだ。
本当はやめたくない。彼の愛から逃れるって決めたから。その為には、自分から距離を置かなきゃいけないから。

だけど創太はいつも、私が敬語をやめないと会話してくれない。
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