その男


 だが何よりも陽子が愛でる賢一の一部は、その声にあった。

 弦楽器の低音のような声。

 陽子が開店間際に来る理由はその時間だと他の客も少なく賢一と二人きりになれるのもあったが、その声に他の雑音(人の声)を交えて聞きたくないのもあった。

「今日も旦那さん、帰りが遅いの?」

「帰りが遅いどころか、帰ってきやしないわよ」


 陽子は若くして結婚した。

 よく離婚せずにここまできたと思う。

 若い時の陽子の容姿は下の中ぐらいでそれを化粧でなんとか中ぐらいにし、小さな豆腐製造会社を経営する旦那の収入は化粧をする前の陽子と同じ下の中といったところだった。

 それがそれまで日本ではまったく売れなかった真空パックの豆腐が海外で大ヒットし、二人の生活は一転した。

 陽子は浴びるほどの金を美容に費やし、旦那は今まで縁のなかった夜の街を闊歩するようになった。

 旦那は当たり前のように外に女を作った。




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