その男


 コーヒーカップにぽつりと雨粒が飛び込んできた。

 重い灰色の雲がいよいよ耐えきれなくなったようだ。

 この両手の中のものは本当の恋でなければ、なに?

 芽以の丸い肩にも雨が落ちる。

 別に、今のままでいい、綺麗にならなくてもいい、本物の恋なんかしなくてもいい、わたしはこの世界が好き。

 “あの人”が女の人のものになるのなんて絶対に見たくない。

 それが例え自分であっても?

 カップを握る指は芋虫のように不格好。

 男の“あの人”の指の方が白くて細い。

 “あの人”とこんなわたしはもっと駄目。

 芽以はたまらなくなって駆け出す。

 何かが追いかけて来る。

 振り向かずとも芽以にはその何かが分かった。

 自分だ。

 芽以は“あの人”が消えていった坂道を全力で駆ける。

 大人の女になった自分が追いかけてくる。

 来ないで、わたしはこのままでいい。

 顔に当たる雨が痛い。



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