強引専務の身代わりフィアンセ
「いえ、まだ婚約している段階で」

「そう。懐かしいわ。私にとってはもう何十年前のことですけどね、今の時代とは違って、結婚相手は親が勝手に決めるものでしたから」

「そう、なんですか」

 静江さんは内緒話でもするかのように、私に一歩近づくと、やや声を潜めて話を続けた。

「ここだけの話ね、私は幼い頃から彼が許婚だって聞かされてたんですけど、あの人と結婚するつもりはなかったの」

「え?」

「でも、親同士云々の前に、彼が私のことを気に入ってくださってね。周りに『静江と結婚する』なんて宣言して、私のことを許嫁だ、なんて言いふらすものですから」

 そこで静江さんは一度言葉を切った。そして悪戯っ子のような笑みを浮かべる。年齢を感じさせない素敵な笑顔だった。

「後に引けなくなった、とでも言うんでしょうかね。外堀を埋められたというか。そこまで想ってくれるなら、って私も結婚を前向きに考えられたの。結果的に彼と結婚して幸せなんですけどね」

 本当に彼女が幸せなのが伝わってきて、私もつられて笑顔になる。

「素敵ですね」

「あなたもきっと幸せになるわ。だって高瀬さん、あなたを見るとき、すごく優しい目をしているもの」

 そう、なんだろうか。私はつい一樹さんの方に視線をやった。幸泉さんと話していた彼がこちらに気づいて、なにげなく目で応えてくれる。

 その顔は、たしかにどこか優しい。ずっと冷たくて、近寄りがたいイメージしかなかったのに。
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