強引専務の身代わりフィアンセ
 でも万が一ということを考えたら、私はなにも話せなかった。結局は全部杞憂だったけど。

 まだ湿っぽさが残っている髪を手櫛で軽く整え、ドライヤーを止めて鏡の中の自分を見つめる。眼鏡は仕事のときと車を運転するとき以外はかけていない。元々、そこまで視力は悪くないから。

 鏡の向こうにいる自分を客観視する。すっぴんというのもあるけど、ぱっと目を引いて印象に残るような顔立ちではない。けれど、これでいい。

 私はエキストラだ、主役じゃない。その場だけ、依頼者の望む人物になりきって群衆に溶ける。次に会ったときには覚えられていないくらいでいい。

 そそくさとバスルームをあとにした。自室に戻ってから、エアコンの電源を入れて、あまり使わないジュエリーボックスをそっと開けてみる。

 いくつかのIm.Merのアクセサリーたち。見てるだけで癒されるのはこの天然石のおかげか、自然と頬が緩む。ただ、ほとんど身につけることができないままのは勿体ない気もするけれど。

 歓迎会で私が選んだのはサファイヤのネックレスだ。自分の誕生石ということもあり、深い青はどこか心を落ち着かせてくれる。専務に言われたからというわけではないけれど、一応、これだけは毎日身に着けている。

 意識せずとも肩を軽くすくめた。明後日のイベントは先方が用意してくれたティエルナのアクセサリーをつけていかなくては。

 ポイントは見るからに目立つものをつけながら、新作はけっしてつけていかない。相手に新作を勧めさせアピールさせなくてはならないから。

 MILDやIm.Merのブースとは離れていることを願う。けれど、ああいうイベントを担当する部署の人たちと、私はほとんど面識がない。だから大丈夫のはずだ。

 もやもやと立ち込める不安を払い除けたくて頭を軽く振る。ふいに飛んだ滴が頬に当たり、少しだけ冷たかった。
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