強引専務の身代わりフィアンセ
「よろしく頼むよ、美和」

 それはとんでもない不意打ちだった、少なくとも私にとっては。さらっと、本当になんの躊躇いもなく名前を口にされ、私の心は波打つ。

 異性に名前を呼ばれることなんて初めてじゃない、特別なことなんかじゃない。専務の表情もいつもと変わらない。

 それなのに、まっすぐ私の目を見て呼ばれた名前は、彼の低い声によって、とんでもなく特別なものになった。

「なに、この初々しい感じ。いーなー。新婚さんごっこ? 俺も混ぜて。美和ちゃん、俺のことも“幹弥さん”って呼んでみて」

 桐生さんの明るい声が、微妙な空気を戻してくれた。逸る鼓動を抑えて、私も動揺を悟られないようにポーカーフェイスに努める。

 これでは、どちらが役者なのか分からない。とりあえず大まかなスケジュールや美弥さんの情報などを得て、当初の目的はなんとか果たすことができた。


「じゃぁ、俺寄るところあるからここで。美和ちゃん、またね。なにかほかに聞きたいことがあったら遠慮なく連絡しておいで」

「ありがとうございます」

 レストランを出て、桐生さんにお礼を告げる。外の蒸し蒸しとした空気はお世辞にも快適とは言えないが、先ほどまでの緊張感溢れる空間に比べたら、まだマシだ。

 タクシーに乗る桐生さんを見送り、専務とふたりになったところで彼にも再度お礼を告げようと彼に向き直った。

「今日は悪かったな」

 けれど、先に口を開いたのは専務で、しかも内容が謝罪だっただけに、私は驚きを隠せなかった。
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