強引専務の身代わりフィアンセ
「専務はどうされます?」

「俺はすぐに別のを拾うし、一度会社に戻る」

 ということは、わざわざ私のためにタクシーを拾ってくれたらしい。お礼を言わなければ、となったところで専務が背を屈めて座っている私を覗き込むように目線を合わせてきた。

「美和、日曜日は十時半に家まで迎えに行く。今日はお疲れ、気をつけて帰れよ」

「……はい」

 そこで専務が車から離れたので、ドアが閉められた。ぼうっとしてると運転手さんに行き先を尋ねられ、慌てて答える。女性ドライバーだったからか、嫌な顔せずバックミラー越しに笑顔を向けられた。

「彼氏さんですか? カッコイイですねー。羨ましい!」

「いえ、その……」

 私は返答に困った。意識せずとも顔が熱い。いやいや落ち着け。一応、彼の婚約者を演じるのだから、これくらいで動揺してどうする。

 専務だってそのつもりで、私のことを名前で呼んだり、優しくしてくれたのだ。

 優しく……?

 私はふと思いとどまった。専務にとっては、これくらいなんでもないことなのかもしれない。いちいち意識する方が間違ってる。あの外見と地位からしても、付き合う女性に困ったこともないだろうし。

 ただ、自分の恋愛経験があまりにも乏しくて、慣れない扱いに戸惑ってしまう、それだけだ。その温度差は私自身の中でなんとかしないと。これは仕事なのだから。

 それからは運転手の女性との雑談を楽しんだ。よく話す人で、ひとりで悶々とせずにすんで、私も楽しい時間が過ごすことができた。そして、家の前に停まり、料金を払おうとしたところで制される。
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