強引専務の身代わりフィアンセ
 抱きしめられた、と脳が認識する前に私の体が宙に浮く。急に視界が高くなり、驚きすぎて声も出ない。専務が私を子どもみたいに抱き上げていたのだ。

 そのまま彼は、川岸に沿って歩き、水たまりくらいの浅いところを見つけると、そこに一歩踏み出したのだ。専務がなにをしようとしているのかを把握して、血の気が引くのと同時に私はようやく声を出せた。

「いいです! 濡れちゃいますよ」

「ちょっと、じっとしてろ」

 その言葉で私はすぐにおとなしくなった。どう考えてもここで暴れるのは得策ではない。むしろバランスをとるために、専務に体を預ける形になる。

 羞恥心で体が熱い。心はかき乱され、それに比例するかのように鼓動も激しくなる。結局、私の制止する声はあっさり無視され、彼は大股でさっさと目の前の中州についた。

「な、なんでこんな無茶したんですか?」

 ゆっくりと下ろされ、照れもあってうつむいたまま私は早口で尋ねた。

「渡りたかったんだろ?」

「子どもの頃の話です!」

 どうしよう。お礼を告げるのもなんか変だけれど、こんな言い方も……。こういうとき、どういった態度をとればいいのかわからない。こんなのは仕事の範囲外だ。

 悶々としていると、それを止めるかのように、頭に温もりを感じた。

「初めてだろ、美和が自分の話をしてくれたの。だから、叶えてやりたくなったんだ」

 専務がどんな顔をしているのか、見ることができない。でも触れてくれた手も、声も穏やかで、なぜか目の奥が熱くなった。
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