強引専務の身代わりフィアンセ
 なんとかはずせたところで、思ったよりも専務がすぐ真正面に立っていることに気づいた。すぐに返そう、としたところで専務の手がすっとこちらに伸びてきた。

「やっ!」

 反射的に身を縮めて後ろに一歩引く。声をあげた私よりも、専務の方が驚きで固まっていた。

「す、すみません」

「いや。少し赤くなってる。大丈夫か?」

 専務が言ってるのはイヤリング跡のことだろう。彼の手が伸ばされたのは私の耳にだった。

「大丈夫です! すみません、普段つける習慣がないので」

 あたふたと言い訳し、逃げるように私はバスルームへ向かった。扉を閉めてから、自分の両耳を押さえてうずくまる。

 恥ずかしい。あんな声をあげて、専務を驚かせて。彼にとってはなんでもないことだったのに。ただ心配してくれただけなのに。

 のろのろと立ち上がって鏡を見た。たしかに専務の言う通り少しだけ耳たぶに跡がついて赤くなっていた。すぐに消えるだろうけど、なんとも不格好だ。

 ピアスの穴も開けていないし、アクセサリー類をし慣れていないのがバレバレだ。そのうえ、あの態度。

 首を九十度に曲げて私は大きく項垂れた。美弥さんの代わり、と言いながら、情けない。専務もきっと呆れただろう。自意識過剰だと思われたかも。

 どこまでも長い息を吐いてから、気を取り直して、家よりもずっと広いバスタブで今日の疲れを癒そうと、私はワンピースに手をかけた。
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