強引専務の身代わりフィアンセ
「もう契約違反で帰ります」

「それは困る」

「全然、困るって顔してませんよ」

 脅してみせたのにまったく効果がない。私だけずっと翻弄されてる。さっきから胸の鼓動も息も、気持ちも乱れっぱなしだ。だから私は彼女のことを口にする。

「っ、美弥さんに怒られますよ、こんなことして」

「怒らないさ。彼女は俺が誰となにをしようと関係ないからな」

 そう告げる専務の声はどこか冷たさを孕んでいた。

「でも」

「それより、美和が怒る方が俺は困るんだが」

 なにかを言おうとしたけれど、すぐに専務が口調を戻して言葉をかぶせてきた。その声色からは相変わらず困る、という感じはしない。

「怒ってますけど、さっきからすごく」

「へぇ」

 含んだ笑みを浮かべて、専務はおかしそうに私の頭を撫でる。そして私に覆いかぶさっていた体勢から、横に体をずらして、私を抱き寄せた。

「でも、こうして触れるのを許してくれるだろ」

 彼の言葉に私は必要以上に狼狽えてしまった。さっきから専務の遠慮のない触り方は、私が本気で嫌がってないのを見抜いてのことだったらしい。

 それは紛れもない事実で、なんだか自分が、とてもはしたないことをしたような気持になった。

 彼のそばに本来いるのは別の女性で、私はその代わりなのに。線引きをきちっとしていたつもりが、どこで曖昧になったのか、どこで許してしまったのか。
< 94 / 175 >

この作品をシェア

pagetop