不器用王子の甘い誘惑
 紗良を守れるなら父親でもなんでも使ってやる。
 そんな風に思っていることを紗良は分かっていないんだろうな。

 お礼どころか先に戻れと言う。
 このままじゃ戻れないんだけど。
 諦めが悪いのが俺のいいところだ。

「今日も残業したら、今日こそは食事に行こう。」

「先輩方は仕事を頼んで来ないでしょうから、定時帰り楽勝です。」

「そんなに俺と食事に行きたくない?」

「そんなこと………ないですけど………。」

「行こうよ。約束。」

 おもむろに小指を出す。

 俺にとっては特別な儀式。
 いいや。俺と紗良にとって。

「指切りげんまんですか?
 松田さんって意外に可愛いんですね。」

 可愛い微笑みを浮かべる顔が憎らしい。
 完全に覚えてないことが確定して、俺は………。

「意外にってひどいな。」

 精一杯の強がりを見せて、紗良の小指に自分の小指を絡めた。

 あの頃よりも大きくなった指は紗良とは全くの別の物のようで、紗良はあの頃と変わらないくらいに小さくて細い指の気がした。

 軽く絡めあってから離した手と手。

 僅かに恥ずかしそうにする紗良を見ていられなくて「約束だからね」と言い残して自席に足を向けた。

 席に戻ったところで紗良の隣で居た堪れない気持ちになりそうだった。

 指切りまで覚えていないなんて思ってなくてショックが思いのほか大きい。
 自席に向けていた足を休憩室へと向け変えて、コーヒーでも飲んでから戻ることにした。


 休憩室はなんだか楽しそうな人達でいっぱいだった。
 混ざる気になれずに休憩室は諦めて近くの壁際で済ませることにした。

 コーヒーを片手に窓の外を眺める。
 不屈の精神はどこへやら。

 俺が追い求めていた未来はこんなだったのかな。

 めげてしまいそうな心にコーヒーが苦く感じて、これが人生の味だな。なんて語りたくなる。

 休憩室から聞こえるたわいない話。
 そこに『紗良』という名前が出て、つい聞き耳を立てた。

「紗良ちゃん可愛いよな。」

「あぁ。純粋でさ。」

「付き合ったらなんでも言うこと聞いてくれそうなところがいいよな。」

 紗良は人気あるんだな。
 今の紗良は確かに男の征服欲を刺激しそうではある。

 俺の知っている紗良は………もういないのかな。

「アプローチしてみようかな〜。」

 胸が痛んでも俺には止める権利も意見する権利もなかった。

「ダメダメ。
 あの子、食事さえも上手く断るから。」

 断るから……断るから。

 俺も、断られたと言った人と同じだ。
 それなのに何故か心踊った。

 ライバルが多い?上等じゃないか。
 俺は1回断られて諦めるようなやわな男じゃない。
 だいたい何年越しだと思っているんだ。

 今の紗良をどう思っているのか、それさえも忘れて、落ち込んでいたのも忘れ、紗良を食事に誘ってやる!と意気込んだ。




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