コガレル ~恋する遺伝子~


 宴の一角、ここで綾さんは切り取るように一瞬で空気を変えた。

「あのさ弥生ちゃんさ、好きな人いるの?」


 好きな人…

 とっさに脳裏に浮かんだのは、ピアノ。
 私の手を取って、指を重ねた。
 単純な曲だけど、あの時は私たちのためだけに奏でてくれた。
 節の少し出た綺麗な指の動きに見とれた。
 顔を上げれば長いまつげの奥、色素の薄い瞳に視線はぶつかった。

 ラインを交換する時は、気が変わったら嫌だと思って、急いでスマホを掴んで圭さんの元に戻った。

 意地悪で、わがままで、ズルくて、たまに優しく甘やかしてくれる…

 酔ったのかな、私。
 ウソつきな、ただの家政婦のくせに。


「杉崎課長みたいなイイ男は、なかなかいないでしょう?」

 思い返せば綾さんと恋愛の話はしたことがなかった。
 以前お付き合いのあった人は、就職ですれ違って別れてしまったとは随分前に聞いたことがあったけど。

 そういえば課長を補佐する時の綾さんは、いつにも増してことさら的確に、打てば響くような仕事をしてた。

 綾さんは課長が好きなのかも。
 それとも『イイ男』って惚気?
 本当はもう付き合ってる?

 うーん、どっちだろう…

「綾さん、課長と、」

 思い切って尋ねようとしたその時、杉崎課長が席に戻ってきた。

「葉山、飲みすぎるなよ。目が座ってるぞ」

 課長は一瞬で空気を宴に戻した。


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