極上スイートオフィス 御曹司の独占愛
吐息が触れたのは、目もとだった。
それから、瞼に感じた唇の感触。


眉間、反対の瞼、目尻と頬。


そっと触れるばかりで、戸惑いながら恐る恐る目を開けた。


「あ、朝比奈さん?」


切なげに細められた目は優しくて、唇を避けて落とされるキスも優しくて、私を逃がさないように掴んだ手の強さとは裏腹だった。


人通りの少ない通り、街灯は遠い。
暗い車内に、時折何かを堪えるような、ため息が響く。


ぽつ、ぽつ、と雨音がし始めて、窓ガラスに作られる波紋が外とを遮った。
ふたり、雨に隠されている。


ゆるゆると身体の力を抜いて抵抗を止めると、彼の手も拘束を解いた。


そして再び、指で私の唇に触れる。
だけどキスが触れるのは、僅かに逸れた場所ばかり。


「あの日」

「え?」

「背中を向けていても、君が泣いてることはわかってた」


別れの日のことを言っているのだと、すぐにわかった。
離れていく彼の背中が見えなくなるまで、必死で涙を堪えたあの夜。


だけど、彼にはお見通しだったらしい。


だったら。


「……なんで?」


私が泣いても気にならなかった?
振り向くのも煩わしかった?


別れを告げたのは私の方なのに、責め立てる言葉ばかりが頭に浮かぶ。
だけど、彼の表情を見れば声にはならなかった。


「一度でも振り向いたら、決心が鈍りそうだった」


私を見下ろす表情が、胸が痛くなるほど寂しそうに笑っていたから、とても一方的に責める気にはなれなかったのだ。


「全部捨てて傍にいられれば、良かったね」


本当に、そう思ってくれてたの。
そうできない、何かがあったってこと?

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