HEROに花束を(完)
夜の街を一人で歩くのは初めてだ。
春とは思えないほど冷たい風がほおを殴る。
どんどんと足が速く動く。
それに合わせてどんどんと焦りが増してくる。
「悠…。」
サンダルで来ていたことに今更ながら気づき、素足が寒さで凍る。
「悠…!」
知らないうちに悠の名を呼んでいた。
まるで確かめるように。
「悠。」
「悠!」
「悠っ!」
パジャマのズボンがなんどもずり落ちて、サンダルで走っているせいでなんども石につまづいた。
猫に追いかけられているネズミ。
だけど猫は自分の分身。
自分で自分を追い詰めて、追い詰めて、追い詰めている。
そうわかっているのに、悠のことを思うととてつもないほどの恐怖が襲ってくる。
初めて知った。自分の死よりも怖いことがあるなんて。
初めて知った。いじめよりも卑怯なこと。殺人よりもひどいこと。それは人間が誰も止めることのできない、自然が作り上げた誰かのデスティニー。
「バス…っ!」
バス停に着いた時には素足には擦り傷がたくさんできていて、パジャマもコートの下ではだけていた。
「ない…」
あと30分バスは来ない。
「ない。ないっ。ない!」
風で煽られる髪がいつの間にか濡れていた頰に張り付く。
嗚咽が漏れては喉に痰が絡んで咳き込む。
胃が痛くて吐きそうになって、バスの看板を叩く。
「ないっ…!」
携帯を引っ張り出して、わたしは別の方向へ向かってまた風をなびきながら走る。
「終電…っ」
息が切れて苦しい。でもそれよりも心が苦しい。
どうしてこんなに辛い思いをしないといけないの。
わたしが何をしたのっ?
ただ…ただっ…普通の恋がしたかっただけなのに…っ
悠を好きになったことが間違いだったのっ?