【短編】夕暮れモーメント
廊下に出ると、もうおじいちゃんの姿は見えなかった。
相手は車椅子だとはいえ、出てくるのに少し手間取ったから。
さっきまでの熱気のこもった会場にいたからか、廊下の冷えた空気がやけに顔にしみる。
確かあのおじいちゃんは勝三さんとかいう名前だったはずだ。
部屋の表札をひとつひとつ確認しながら、小走りに廊下をうろつき回る。
そもそも、私はこの人の部屋を訪ねていって、何を話そうとしているんだろう。
そんなことを考えながらも、それ以上は深く考えないようにしたがっている自分もいた。
「あっ」
引き扉の横にかかった、木でできた手作りの表札を見上げる。
静かな廊下には不似合いなくらい、雨風に吹きさらされたような年季の入りようのものだった。
ほんとうに、私はこの人の部屋を訪ねていって、何を話そうというのだろうか。
そんな考えがもう一度頭をよぎったけれど、
ここで引き返すのは今さら遅い。