【短編】夕暮れモーメント
「え?」
「わしはな、もうサックスなんか辞めてずっと経つが全然諦めがつかない。今でもまた始めたら、と思ってしまう。未練たらたらだ」
…え?
「サックス、やられてたんですか?」
勝三さんは目を閉じて何度も何度もうなずいた。
「ああ、そうだ」
そこから、勝三さんはぽつりぽつりと、自身のサックスの思い出を語り始めた。
子供の頃、隣の家から聴こえてくるサックスの音を聴きたくて、いつも窓ぎわで遊んでいたこと。
もともと裕福な家でもなかったのに、父親が突然サックスを買ってきたこと。
夜中にいきなり練習を始めて、起きてきたお母さんに怒られたこと。
学校を出てから、職場でできた友達と、休日がやって来る度に集まっては一緒に演奏したこと。
「昔は日曜日しか仕事を休めなかったんだぞ、今の人たちは羨ましい、」
と勝三さんは笑った。
そんな生活が数年続いたある時のこと。