千の春
「岬、ソビエトの像だってよ」
やけに嬉しそうに千春が岬を呼ぶから、何かと思ったらただの像だった。
いろいろな国が長崎のこの場所に平和の像を送ってくれたらしい。
岬は大して興味もなかったので千春の隣で像を流し見た。
「ソ連ってもうない国なのにな」
「いつなくなったんだっけ」
「俺、日本史選択だからわかんないわー」
実のない会話をしながら歩いていた時、突然千春が上を向いた。
「空、すげー青いな」
「うん」
しみじみ言われて、岬もつられて上を向く。
すかんと抜けるような青空がそこに広がっていた。
修学旅行の目的としては、平和を考えるというテーマがあったのだろう。
けれどまだ平和記念館にも行ってない岬には、平和の像よりもこの抜けるような青空の方が印象深かった。
「変な感じだよな」
「何が?」
「こんなに綺麗な場所なのに、数十年前は原爆で荒れ果ててたんだよなぁって思ったら」
千春は目を細めて長崎の町並みを見つめた。
「この綺麗な風景も、なんか違って見える」
千春が恋や愛の曲を弾けるのは、この感受性のおかげなのだろうか。
ふと、岬はその時思った。
なぜなら、岬はおもわずこう返してしまったから。
「別に」
「ん?」
「昔ここに原爆が落ちたことと、今のこの景色が綺麗なのは全然関係ないでしょ」
素で、そう言っていた。
岬にとっては綺麗なものは綺麗で、それで完結していた。
過去にどんな悲惨なことがあったとしても、今の風景が綺麗な事実は変わらないじゃないか、と。
過去に思いふけり、街を眺めるということが、岬にはその感情がわからなかったのだ。
「うん」
千春は反論もしなかった。
ただ、満足そうにそう言っただけ。