千の春
子供のように「なんで」を繰り返す岬。
ふざけてるわけではない。
本気だった。
まったく、わからなかった。
岬は、千世子が言ってることが本当にわからなかったのだ。
時間がたった今なら、なんとなくわかる。
けれど当時はわからなかったし、それだけピアノのことしか考えてなかったとも言えるかもしれない。
千春ならきっと、千世子が感じていた切なさも、表現として美しくピアノの演奏に取り入れただろう。
「千春が私のこと好きなのなんて、私と千春の間のことじゃん。千世子ちゃん関係ないじゃん」
「え?」
「千世子ちゃんが千春のこと好きなのも、千世子ちゃんと千春の間のことで、私は関係ないよ」
ぽかんと、あの時の千世子ちゃんの顔は、こう言っちゃなんだが間抜けだった。
「千春が私のこと好きでも好きじゃなくても、千世子ちゃんが千春を好きなのは変わらないでしょ」
そう言った岬に、千世子ちゃんはしばらく黙っていた。
千世子ちゃんが好きなのは千春。
告白したいのも千春。
だったら告白すればいい。
千春が岬のことを好きでいるからといって、千世子ちゃんが「好き」の気持ちを伝える障害にはならないだろう、と。
岬は本気で思っていた。
長崎で、綺麗な風景が綺麗な事実は、過去のこととは何の関係もないだろうと言った時のように。
少しの時間の後、千世子ちゃんはしょうがないな、と言うように笑った。