千の春
「岬ちゃんって、本読んだり、映画見たりする?」
「しない。わからないし」
「だろうね」
くすくす笑う千世子ちゃん。
やけにさっぱりとした顔をして、岬のそばに来た。
ポーンと、軽い動作で鍵盤を叩いた。
「たぶん私、千春くんが岬ちゃんのこと好きじゃなかったら、好きにならなかったよ。千春くんのこと」
意味不明もいいとこだった。
岬は信じられない思いで隣に立つ千世子ちゃんを見た。
同い年の子の少女が、宇宙人か、はたまた異世界の住人のように思えた。
岬に恋する千春は好きで。
岬に恋しない千春は好きじゃない。
どっちも千春なのに、好きになる境界があって。
結局、岬は何もわからないまま、その日は過ごした。
千世子ちゃんは結局千春が死ぬまで告白もしなかった。
あの出来事は、なぜか岬の中では嫌な思い出として分類され、今でも胸の内にしまいこまれている。
「恋愛ってわかんないしさ、ほんと」
ぶっきらぼうにそうこぼした岬に、丸井くんは「えー」と気のない相槌を打った。
「丸井くんは、彼女とどう?」
「へ?」
「恋をするとピアノが弾けなくなるって」
「フジコヘミングか」
ふんふーんと丸井くんは鼻歌を歌いだす。
酔っ払い相手にまともな会話は期待するだけ無駄だ。