千の春
千春は笑うと幼い印象になる。
けど、岬よりもずっと人の機敏に聡くて、先を行っていた。
人付き合いも岬よりずっと上手かった。
ピアノだけじゃなく、千春はあらゆる面で岬の心を刺激した。
ピアノに関しては負けたくなくて。
気遣いに関しては、よくやるなぁって思ってた。
人の感情に関しては、なんでわかるんだろうっていつも不思議で。
なんで過去のことにこだわるんだろうって、岬は不思議に思った修学旅行の日のことを思い出した。
綺麗なものは綺麗で。
それだけで終わらせられない、人の心の何かを、千春はわかっていた。
「それさぁ、相手、岬ちゃんのこと好きだったとか、ないの?」
「あるよ」
「やっぱり」
丸井くんがぼんやりとした目でつぶやいた。
目が据わっており、悪酔いしてるのかと思ったが、ろれつはしっかりしていた。
「嫌われたくなかったんだよ、きっと」
「私に?」
「おう。そうだ、絶対そうだよ」
なぜか自信満々に丸井くんは頷く。
岬はふぅん、と軽く聞いていた。
「男は単純だからな。幸せを願うなんてできねぇもんなんだよ」
「はぁ」
「嫌われたくないなぁ、って。思うことなんてそのくらい」
「丸井くんだけじゃないの、それ?」
「んなことないって」
赤い顔で丸井くんはカラカラ笑う。
弧を描く口の上にはビールの泡が付いていた。
間抜けだなぁ、と岬は思う。
その間の抜けた感じがなんとも丸井くんらしいけど。