千の春
「竜馬って奴、知ってるか?あんたと何回かコンクールで顔合わせてるはずだけど」
最初に声をかけてきたのは千春からだった。
岬はその時あまりの衝撃に放心していたように思う。
千春は自己紹介もせずに「竜馬」という人物について尋ねてきた。
目の前にある顔を前に、「本物の芥川千春だ」と岬は思っていた。
「俺、竜馬の幼なじみなんだよね。あいつのコンクールの応援によく行ってたから、あんたのことも知ってる」
「・・・へぇ」
「音楽なんて全然わからなかったけどさ、あんたの弾くピアノはなんか鬼気迫るものがあってよく覚えてる」
褒められてるのかどうか、岬は一瞬判断に迷う。
「本当だぜ。竜馬以外の時はだいたい寝てたけど、あんたの演奏の時は起きてた」
だいたい寝てた。
千春の放った言葉が頭の中を反響する。
癖っ毛の髪をもてあそぶ千春に向かって、岬の足は動いていた。
衝動だった。
ガッという鈍い音とともに、綺麗な回し蹴りが決まる。
千春が目を剥く。
細身の体が倒れていくのがスローモーションで見えた。
当時の岬は、口より足が先に出る激情家だったのだ。
手を出さなかったのは、ピアノをする上で命よりも手を大切に思っていたから。
そのあとは散々だった。
先生に怒られるわ、親に呼び出されるわ、クラスメイトからは白い目で見られるわ。