いつか、君の涙は光となる



人の気持ちは、その人に聞くまで分からないから、そのことを肝に銘じて生きていきなさいと、父はよく言っていた。噂や偏見に惑わされずに、ちゃんとその人を見てあげなさい、と。
だから、そんな父が言葉で誰かを死に追い詰めるなんて、信じられらなかった。
モラハラの意味を知らなかった幼い私は、どうして父がなんども警察に呼ばれたのか母に聞いた。すると母は、「心を殺すことよ。父さんは、あの方の心も、体も殺したの。二回殺したのよ」と静かに答えたのを覚えている。父は殺人犯。その事実がどれだけ重いことなのか、それだけは分かっていた。
父と母が別れることを決めたのは、事件が起きたその日だった。無言だった。その別れに私の意思は無関係だった。
母は私を守るために別れ、父も私を守るために別れた。祖母からそう説明された。
「お父さん」
私は今でも、夢の中で何度も去りゆく父を呼び止める。いつか行った海で、父の黒い腕を必死に掴む。そんな私を振り返り、父は笑う。
「元気で。ごめんね」
父は何も言い訳をしなかった。もしかしたら会社での父は、まったくの別人だったのかもしれない。会社でも、父を庇う人は誰一人いなかった。この事件が起きる前から、母も愛想を尽かしていた。
お父さんが言ったのに。その人の気持ちは、その人に聞くまで分からないんだって。お父さんが、そう言ったんじゃない。なのにどうして、本当の気持ちを教えてくれなかったの。
モラハラを認めてもそうでなくても、私はお父さんの口からちゃんと聞きたかったのに。
あの時聞きたかったのは、ごめんねなんて言葉じゃなかった。





「詩春って、中学のときどんな感じだったの」
突如宗方君に振られた話題に、私は思わず一度固まった。彼の隣にいる万里は、長い指をすいすいと動かして、来週の同窓会に向けて中学時代の写真フォルダを整理している。その様子を見て、宗方くんがなんとなしに問いかけてきたのだ。

私の中学時代を知っている人は、この学校には一人もいない。簡単に入れる高校じゃなく、しかも地元からずっと遠いところを選んでここへ来た。
「んー、あんまり変わらないかな。今より地味だったかも」
当たり障りのない答えをすると、万里が話題に入ってきた。
「まあ中学生なんて垢抜けてないし、皆そんなもんだよねえ。万里も超天パで激ダサだったし」
「へぇ、想像つかないなあ」
私の言う地味は、きっと万里の思う地味とは違う意味だ。私は中学時代、心を、ずっと殺して生きてきた。誰かに好かれようと思ってこの能力を使ったこともあるけど、気味悪がられて益々人は遠ざかっていった。
三年。たった三年我慢すればいい。そう思って、やっと辿り着いた今がある。
万里や宗方君は、もし私の父のことを知ったら、同じように離れていくのだろうか。そう思うと、急に胸の中に冷たい空気が流れ込んできた。
「そういえばさあ、私の学校に、なんか犯罪者の娘が通ってるらしいよ」
「え……」
「ここからちょっと離れたとこに住んでる従兄弟が、なんかそういう噂聞いたって言ってきてさあ。その娘さんが悪いわけじゃないけど、ちょっと怖いよねえ。宗方は知ってた?」
「へぇ、俺そんな噂聞いたことなかったけどそうなんだ」

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