【長編】戦(イクサ)林羅山篇
役割分担
道春は家光と会ったことを報告
するため秀忠のもとに向かった。
「どうであった竹千代は」
「しばらくお会いせぬ間に、凛々
しくなられて。お話をお伺いして
いますとまるで権現様といるよう
に感じました」
「父上と」
「はい。権現様もよく上様のこと
を心配しておられましたが、若様
も上様のことをことのほか心配さ
れているのです。もちろん上様が
どのようなお気持ちかは若様には
分かりませんから、的外れな心配
ではあるのですが、子は子なりに
考えるものなのです」
「わしのことより、自分の行く末
を心配すればよいものを」
「それもよくお考えになられてい
るように思われます。かつて平家
は公家のような暮らしをし、民の
貧しい暮らしをかえりみようとも
せず、そのため源氏に味方する者
を増やしてしまいました。今の上
様のなさりようがそれに似ておる
のではないかと、若様は民の立場
になって考えられておるのです。
これは権現様もそうでした」
「わしのやり方が間違っていると
申すのか」
「いえ、そうではありません。
偏ってはならないということで
す。公家のことも大事なら民のこ
とも大事。キリシタンを処断する
ならキリシタンでない民は安楽に
する。中庸ということです。すで
に上様と若様が役割分担をする時
期にきているのではないでしょう
か」
「竹千代にその器があると申す
か」
「よくよく若様とお話になられて
はどうでしょうか。きっと上様の
お心に通じる若様となられている
ことに気づかれると思います」
「そうであろうか。まあ、考えて
おこう」
秀忠はしばらくして家光に会
い、政務についてもよく話をする
ようになった。
家光も秀忠の考えをよく聞き、
その意思に副うように努めた。
元和八年(一六二二年)
長崎ではキリシタンの大量処刑
が実行され、キリシタンではない
民衆の間にも秀忠への不満と暮ら
しの不安が広がった。そこで秀忠
は家光に征夷大将軍の座を譲るこ
とを決めた。
するため秀忠のもとに向かった。
「どうであった竹千代は」
「しばらくお会いせぬ間に、凛々
しくなられて。お話をお伺いして
いますとまるで権現様といるよう
に感じました」
「父上と」
「はい。権現様もよく上様のこと
を心配しておられましたが、若様
も上様のことをことのほか心配さ
れているのです。もちろん上様が
どのようなお気持ちかは若様には
分かりませんから、的外れな心配
ではあるのですが、子は子なりに
考えるものなのです」
「わしのことより、自分の行く末
を心配すればよいものを」
「それもよくお考えになられてい
るように思われます。かつて平家
は公家のような暮らしをし、民の
貧しい暮らしをかえりみようとも
せず、そのため源氏に味方する者
を増やしてしまいました。今の上
様のなさりようがそれに似ておる
のではないかと、若様は民の立場
になって考えられておるのです。
これは権現様もそうでした」
「わしのやり方が間違っていると
申すのか」
「いえ、そうではありません。
偏ってはならないということで
す。公家のことも大事なら民のこ
とも大事。キリシタンを処断する
ならキリシタンでない民は安楽に
する。中庸ということです。すで
に上様と若様が役割分担をする時
期にきているのではないでしょう
か」
「竹千代にその器があると申す
か」
「よくよく若様とお話になられて
はどうでしょうか。きっと上様の
お心に通じる若様となられている
ことに気づかれると思います」
「そうであろうか。まあ、考えて
おこう」
秀忠はしばらくして家光に会
い、政務についてもよく話をする
ようになった。
家光も秀忠の考えをよく聞き、
その意思に副うように努めた。
元和八年(一六二二年)
長崎ではキリシタンの大量処刑
が実行され、キリシタンではない
民衆の間にも秀忠への不満と暮ら
しの不安が広がった。そこで秀忠
は家光に征夷大将軍の座を譲るこ
とを決めた。