【長編】戦(イクサ)林羅山篇
淀城
七月になると家光は江戸を発
ち、京に向かった。これは後水尾
天皇が二条城に行幸するのに先立
つもので、前年に新しく出来た淀
城の視察も兼ねていた。家光に道
春も同行していた。
秀忠はそれより先の五月に江戸
を発ち、すでに二条城に入ってい
た。すぐにでも天皇の中宮となっ
た和子に会いたかったからだ。そ
の和子は前年の九月に二人目の女
の子、昭子を産み、また身ごもっ
ているとの知らせがあった。その
秀忠には東舟が同行していた。
家光が入った新しい淀城は、か
つて豊臣秀吉の側室、淀の居城が
あった対岸に松平定綱によって築
かれた。桂川、宇治川、木津川が
合流する中州を干拓し、廃城と
なった伏見城の廃材や改築にとも
ない不要となった二条城の天守が
移築されて、川を自然の外堀とし
た泰平の世に似つかわしくない実
戦を意識した堅固な城となってい
た。
家光は道春らとしばらく淀川で
舟遊びをするなどして、天皇の行
幸する日を待った。
ち、京に向かった。これは後水尾
天皇が二条城に行幸するのに先立
つもので、前年に新しく出来た淀
城の視察も兼ねていた。家光に道
春も同行していた。
秀忠はそれより先の五月に江戸
を発ち、すでに二条城に入ってい
た。すぐにでも天皇の中宮となっ
た和子に会いたかったからだ。そ
の和子は前年の九月に二人目の女
の子、昭子を産み、また身ごもっ
ているとの知らせがあった。その
秀忠には東舟が同行していた。
家光が入った新しい淀城は、か
つて豊臣秀吉の側室、淀の居城が
あった対岸に松平定綱によって築
かれた。桂川、宇治川、木津川が
合流する中州を干拓し、廃城と
なった伏見城の廃材や改築にとも
ない不要となった二条城の天守が
移築されて、川を自然の外堀とし
た泰平の世に似つかわしくない実
戦を意識した堅固な城となってい
た。
家光は道春らとしばらく淀川で
舟遊びをするなどして、天皇の行
幸する日を待った。