【長編】戦(イクサ)林羅山篇
江与の死
 秀忠のもとに正室、お江与の死
が伝えられた。
 お江与が病に倒れたことは秀忠
に伝えられていたが、病状がそれ
ほど深刻なものだとは思ってもみ
なかった。それだけに秀忠の落胆
はひどく、奈落の底に突き落とさ
れたように顔をゆがめて泣き崩れ
た。
 お江与の死は家光にも知らさ
れ、すぐに秀忠のもとに向かう
と、廃人のようにうなだれた姿が
あった。
「父上、気をたしかになさってく
ださい」
「わしはもうだめじゃ。何もかも
終わった」
「そのようなことをおっしゃら
ず、このこと和子に知られてはも
うすぐ産まれるお腹の子がどうな
るかしれません」
「おお、そうであった。しかしど
うすればよいのじゃ」
「父上は何事もなかったように、
お振る舞いください。私が政務を
理由に江戸に戻り、母上のもとに
参ります。父上は和子の子が産ま
れてからお戻りください」
「ふむ、お前に任せる。おお、そ
うじゃ、国松はどうする。あれに
も知らせねば」
 家光の弟、国松は元服して名を
忠長と改め、駿河五十五万石の藩
主として二条城に来ていた。
「いえ、お待ちください。和子は
感が良いので国松までいなくなれ
ば、母上に何かあったことを察し
ましょう。国松も母上が身まかっ
たことを知れば狼狽し、騒ぎ立て
るかもしれません」
「そ、そうじゃの」
「母上のことはすべて私にお任せ
いただき、父上は和子が男子を産
むことだけお祈りください」
「あい、分かった。お江与もわし
に力を貸してくれるかもしれん
な」
「和子の産む子は母上の生まれ変
わりとなる子かもしれません」
 秀忠は家光の言葉に勇気づけら
れ、正気を取り戻した。
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