【長編】戦(イクサ)林羅山篇
天海封じ
 秀忠はお江与の眠る芝の増上寺
に埋葬され、追号は台徳院となっ
た。そして道春には追号での働き
に三百俵の褒美が与えられた。
 天海は家光が自分から距離をお
こうとしているのは道春の入れ知
恵だと薄々感じていたが、それが
はっきりした。そして天海をさら
に不快にしていたのが東叡山、寛
永寺の近くに建てられた道春の私
塾だった。
 私塾にもかかわらず、尾張の徳
川義直が寄進した先聖殿には孔子
や賢人の像、祭器が安置され、書
庫には家康が亡くなった時に駿河
文庫から尾張に分配された書物と
義直が居城、名古屋城の城内に建
てた蓬左文庫に集めた書物の中か
ら貴重な書物が膨大な数、移され
た。
 天海は江戸の町を風水により魔
物の進入を防ぎ、吉祥を呼び込む
ことで永遠に繁栄するように整備
した。この私塾が風水により寛永
寺の影響力を弱めるために建てら
れたことはすぐに分かる。風水を
巧みに利用した天海が風水で封じ
込められたのだ。家康が存命の時
ならこのような暴挙は阻止しただ
ろうが、今は黙って見ているほか
なかった。
(まるで付城だな)
 天海は苦笑いして自分の構想が
くずれ、影響力が弱められていく
ことを悟った。
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