【長編】戦(イクサ)林羅山篇
桃源郷
 道春は慶長五年(一六〇〇年)
の関ヶ原の合戦で松尾山に布陣し
た時、小早川秀秋として松尾山城
の曲輪に待機していた小早川隊、
一万五千人の将兵を前にして自分
の理想の国を話したことがあっ
た。
「大陸の明には桃源郷の物語があ
る。河で釣りをしていた漁師が帰
る途中、渓谷に迷い込み、桃林の
近くに見知らぬ村を見つけた。そ
こにいた村人は他の国のことは知
らず、戦はなく、自給自足で食う
ものにも困らない。誰が上、誰が
下と争うこともない。これが桃源
郷だ。太閤もわしも、もとはみん
なと同じ百姓の出だ。もう身分に
縛られるのはごめんだ。親兄弟、
女房、子らが生きたいように生
き、飢えることのない都を皆と一
緒に築きたいと思う。そのために
この身を捨てて戦う」
 道春のこの時の思いが今、実現
に近づいているように思えた。
 すると活所が思わぬことを口に
した。
「その明ですが、今内乱が起きて
いるというのは羅山殿はご存知で
すか」
「いえ。明の国情が乱れていると
は聞いていますが。多忙にかまけ
て世情に疎くなっておりました」
「そうでしょうな。上様も政務が
膨大になれば本当のことは伝わっ
ていないでしょう。私が調べたと
ころ明をヌルハチなる者が攻め金
という国を起したそうです。その
後、ヌルハチは亡くなり、今は子
のホンタイジが後継者となってお
るようです。この対立で明の国情
が乱れ、朝鮮にも影響が出ている
と」
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