【長編】戦(イクサ)林羅山篇
柳川調興の訴え
 寛永十二年(一六三五年)
 林家が江戸で始めての正月を迎
えた。
 道春の家族に加え、東舟の家族
もそろった。
 東舟は二人の子をもうけたが、
長男は早くに亡くなり、春斎と同
い年の次男、永甫が儒学を志して
いた。
 十二歳になった道春の四男、右
兵衛は名を守勝と改め、三歳に
なっても歩かず心配していたが、
無邪気に遊んで場を和ませ、この
日の主役となった。

 三月に対馬藩主、宗義成の家
老、柳川調興から幕府に訴えが
あった。義成の父、義智の代から
幕府と朝鮮とのやり取りをした国
書を改ざんしているというのだ。
そのことも問題だったが、家臣が
主君を訴えるということも忠義を
重んじる幕府の方針に逆らうもの
として問題があった。そこで、江
戸城に義成と調興を呼んで争論さ
せ、その上で家光が裁断すること
になった。
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